(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

このブログの情報は、2008年8月8日から2019年8月16日まで
Yahoo ブログで紹介したものを、2019年12月15日を以ってYahoo
のサービスが停止したことに伴い、livedoor ブログに移行したものです。
2019年8月17日以降の情報は、次のサイトに引き継がれています。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/

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BBC World Serviceは、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で、
インターネットや電話回線が不通となっているため、同地方に向けた短波放送
の放送枠を拡大する。BBC World Serviceの局長は、「紛争や緊張のある地域に
独立した信頼できるニュースを提供することは、BBC World Serviceの使命だ」
と語っている。
BBCの報道発表は次のとおり。
https://www.bbc.co.uk/mediacentre/latestnews/2019/world-service-steps-up-broadcasts-in-kashmir

インドが今月初め、実効支配するジャンムー・カシミール州から自治権を剥奪
したことから、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方の停戦ライン
で両国による交戦が発生して5人が死亡するなど、緊張が高まっている。
https://www.bbc.com/japanese/49288321
https://www.afpbb.com/articles/-/3240072

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ポーランド旅行で最も印象に残っているのは、アウシュヴィッツ強制収容所跡の
博物館を訪問したことであり、見学する中で知った、コルベ神父の壮絶な行為は、
言葉では言い表せいないほど衝撃的なものであった。
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/36495542.html

コルベ神父は1894年にポーランドに生まれた。アジアでの布教活動の重要性を
唱える同神父は、1930年2月26日にポーランドを出発、マルセイユ、サイゴン、
上海を経由して、同年4月24日、長崎に上陸した。
大浦天主堂の近くに借家を見つけ、日本語の活字による「聖母の騎士」第1号を
発行した。

コルベ神父は務めが終わると、1936年5月に長崎からポーランドに帰国したが、
やがて第2次世界大戦が勃発し、ナチス・ドイツに捕らえられ、アウシュヴィッツ
強制収容所に入れられた。

コルベ神父は、餓死刑を宣告された家族を持つ1人の男の身代わりになることを申し
出て、1941年8月14日、永遠の眠りについた。今から78年前の夏であった。

今年7月下旬、長崎を旅行する機会があり、大浦天主堂の近くにある「聖コルベ館」を
訪ねた。ここは、コルベ神父が借りた洋館のあった場所で、「聖母の騎士」誌の出版作業
が行われた場所である。
当時の洋館は火災によって焼失してしまったが、焼け残った赤レンガの暖炉が展示されて
いる他、コルベ神父の足跡をたどる様々な資料がパネル展示されている。
http://kolbe-museum.com/?mode=f2

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

◆ 長い間、拙い旅行記にお付き合いいただき、有難うございました。
  ポーランドは素晴らしい国です。ポーランドの人々は優しいです。
  ポーランドは自然が豊かで、多くの史跡や史料が残されています。
  ポーランドは食べ物が美味しく、ビールも最高です。
  ぜひ、一度、ポーランドを訪ねられることをオススメします。

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今年2019年は,日本とポーランドが外交関係を樹立して100周年の
記念すべき年にあたっている。
在ポーランド日本国大使館のホームページでは、「両国の長きにわたる友好
関係においては,1920年および1922年に,日本がシベリアの地で
苦境に陥っていたポーランド人の孤児763名を救い,一方ポーランドは
阪神淡路大震災,東日本大震災の際に,被災児童をポーランドに招待したと
いうエピソードもあります」と紹介している。
https://www.pl.emb-japan.go.jp/100/index_j.html

韓国のドキュメンタリー映画「ポーランドへ行った子どもたち」は、1950
年代に朝鮮半島からポーランドに渡った戦争孤児を紹介するものだが、日本と
ポーランドの間にも、1920年代に、ポーランドの「孤児」を救ったという
心温まる出来事があり、それが契機となって両国の人々の交流が続いている、
素晴しい歴史があることを初めて知った。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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元NHKアナウンサーの武井照子さんは、1944年、19歳で
日本放送協会(NHK)に入局した。武井さんは、音楽や物語、
ドラマなどの番組とともに、海外向けの短波放送を担当していて、
真夜中にひとり、スタジオから地球の反対側に向けて語りかけた。
「本当に伝わっているのかな」と思っていたという。
そして、翌年8月、「終戦の放送」の前に「敗戦」を知った。
その経緯について、彼女へのインタビューを、BuzzFeed Newsが
紹介している。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/joak

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ポーランド旅行に出発する数日前、韓国KBSの日本語放送では、ドキュメン
タリー映画「ポーランドへ行った子どもたち」について紹介した。

1950年代の朝鮮戦争で、10万人以上が戦争孤児になったといわれる。
北朝鮮から、約1500人の戦争孤児が秘密裡にポーランドに送られ、現地の
孤児院に収容され教育を受けていた。ポーランド人教師の本物の愛情を受けた
孤児たちは8年後に北朝鮮へ送り返される。彼らは、朝鮮半島における現代史
の新たな犠牲者として近年注目されていて、その問題を追ったドキュメンタリー
映画「ポーランドへ行った子どもたち」が昨年10月、韓国で公開された。
日本でも上映しようという動きがあると聞くが、正式決定は未だのようである。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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成田行きポーランド航空機が、高度11000mでモンゴル上空に達した
ころ、窓からは眩しい朝日が差し込み始めた。地平線と言うか、地球の縁と
言うべきか、そこから真っ青な空間に光が放たれ、地球を覆う大気が紅く
染まる光景は、人の心を清々しいものにさせてくれる。
私は、この光景が好きである。一挙に眠気が覚めた。
おそらく、宇宙飛行士たちが宇宙で見る日の出もこのようなものであろうか。

午前9時前、搭乗機は成田空港に無事に着陸した。
長い通路を歩いて、入国手続きのゲートに向かった。
途中で、大きな「迎」のポスターに出会った。
仕事や観光などで、海外から日本を訪れる人々を歓迎するメッセージである。
これは、書道家・武田双雲さんの書である。
双雲さんには、私が現役時代に、元職場の創立125周年記念行事に協力を
お願いしたことがあり、思わぬところで彼の作品と出会い、その時のことが
懐かしく想い出された。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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1945年8月15日、日本の敗戦を知らせる、天皇の「玉音放送」を受け、
山形新聞は「号外」を発行した。題字は「山形新聞」となっているが、題字の
下には「朝日新聞、讀賣報知、毎日新聞」とある。戦時中の用紙不足のため、
4紙が同一の紙面構成で発行したのものであろうか。

見出しは、右から左へ横書きで「四國共同宣言を受諾」とあり、日本が「米英
支ソ四國」に対しポツダム宣言を受諾する旨通達したことを伝え、続けて、
「全く御異例のことに属することながら、十五日正午、畏き大御心より大詔を
御放送さらせられた」と報じている。
この号外は、先日、山形の生家の物置から見つけ出したものである。

なお、戦時中の新聞の号外については、立命館大学の小林宗之さんによる論文
「戦争と号外(2)—第一次世界大戦からアジア・太平洋戦争まで—」が参考に
なる。論文のP.88で紹介されている、作家の小田実さんの言葉は興味深い。
https://www.r-gscefs.jp/pdf/ce09/km02.pdf#search=%27%E6%88%A6%E6%99%82%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%9C%8C%E4%B8%80%E7%B4%99%E6%94%BF%E7%AD%96%27

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ワルシャワのアパートメントホテルのチェックアウトは、極めて簡単である。
部屋のキーを、郵便ポストに入れれば、それでOKである。

スーツケースを牽きながら、路面電車でホテル前からワルシャワ中央駅まで
2区間だけ乗り、中央駅から空港までは近郊鉄道に乗る。
空港駅に近づいてきたころ、今回の旅行では初てとなる、車内検札を経験
した。乗車券を持っていなかったり、持っていても、有効期限切れの切符
だったりすると、高額の罰金が科せられるので、旅行中は常に注意を払って
きた。われわれの切符は、前日の午後に購入した「24時間切符」で、予定
どおりに行動していたので、残り1時間ほどの余裕があり、セーフである。

車内検札の車掌は、ショートヘアカットの颯爽とした若い女性で、彼女の
テキパキとした仕事ぶりには、「不正乗車は絶対許さない!」という威厳に
溢れ、、乗客を威圧するような雰囲気が漂っていた。

ポーランド航空のチェックインデスクでスーツケースを預けた後、空港内の
レストランでスープを食べ、腹ごしらえをした。これで、ポーランド風味の
スープともお別れである。

保安検査を済ませた後、方向指示のサインに従って、所定の搭乗口に向かった。
しかし、何かヘンである。「出国手続き」を経ないまま、搭乗口に達してしまった
のだ。
われわれを含めて20名前後の乗客が搭乗口前のベンチに座って待っていたが、
間もなく空港職員がやってきて、「一旦、待合スペースから出て、出国手続きを
済ませて、向こうの入口から入り直してください」と案内し始めた。
保安検査から出国手続きに至る、乗客の導線のベルトと「通行止」のベルトの
張り方に不手際があったのだろうと思われた。

様々な想い出を胸に、機内に進んだ。
これからの楽しみは機内食である。私は、ポークとサフラン米を、連れ合いは
ターキーとパスタを頼んだ。飲み物は、白ワインとビールを交互にもらった。
往路便ではプラスチックのナイフとフォークだけだったが、復路便では割り箸が
付いていて、日本人には嬉しいサービスである。

もう日本に帰るだけだから、少々酔っても大丈夫である。思う存分に食べ、かつ
飲んだ。食事の後は、私は深い眠りに入った。連れ合いは、座席前のモニターで
日本映画を観ていたようだ。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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Radio Pakistanは8月14日、72回目の放送開始記念日を祝う。
この日は、パキスタンの独立記念日でもある。更に、「カシミール
連帯の日」としても位置付けられる。
Radio Pakistanは、"We Are Pakistan" と題する特別番組を、今月
1ヵ月間にわたり放送するという。
http://www.radio.gov.pk/14august
http://www.radio.gov.pk/31-07-2019/pbc-launches-month-long-special-programs-to-celebrate-anniversary-of-pakistan-radio-pakistan

なお、英BBCの報道によれば、インドが今月8日、実効支配する
ジャンムー・カシミール州から自治権を剥奪したことから、カシミ
ール地方の領有権をめぐり、インドとの対立が続く隣国パキスタン
は、同州住民に付与していた特別権限の廃止は国際法違反だと反発
している。両国の、今後の動きが注目される。
https://www.bbc.com/japanese/49288321

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ワルシャワ滞在の最後の日の夕刻、帰国に備えて荷造りをしていて、ふと
ホテルの窓から東側を望むと、きれいな虹がかかっている。
長かったポーランドの旅の疲れを、一挙に吹き飛ばしてくれるような光景
であった。

時計の針が午後9時を指そうとする頃、夕食が済んだところで、キッチンの
窓から、西側を望むと、夕焼けの茜雲にワルシャワのビル群がシルエットに
なって、素晴しい光景であった。

ワルシャワで見る虹と茜雲、神秘的ともいえる光景は、これまで経験した海外
旅行の中で、最も印象が強く有意義だった、今回のポーランド旅行を総仕上げ
してくれるものだった。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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