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「ピアノの詩人」と称される、フレデリック・ショパンは、ワルシャワ郊外の
小さな村で生まれた。その生涯と業績を紹介する「ショパン博物館」を訪ねた。

チケットはプラスチック製の磁気カードで、これを購入する。
幸いなことに、われわれが訪れた日は「無料」の日にあたっていたので、カード
にはその旨が磁気で記録されている。
博物館に入ると、右手にあるスキャナーにカードをかざす。退館する時も、同様
にスキャナーにかざし、カードは返却する。これで、入退館をチェックしている
のであろう。

館内では、最新のデジタル技術を駆使して、様々な形でショパンの生涯と業績、
そして、作品の数々を紹介している。
1階の奥に進むと、視聴覚コーナーのようになっていて、透明で円形の強化プラス
チック製の一人用カプセルが数基並んでいる。その中に入って座り、ヘットフォン
を付けて、カードをスキャナーにかざすと、様々な曲の演奏を聴くことができる。

2階に上がると、ショパンが活躍したフランス・パリのサロンを再現したコーナーが
あり、ショパンが最後に使ったというグランドビアノが置いてある。向い側には、日常
使っていたピアノも展示されている。

次の部屋では、ショパンの直筆の譜面、家族や友人に宛てた手紙なども展示されている。
地下階には、映像モニター付のデスクが10席ほど並ぶ、学習室のような部屋があり、
画面にタッチしながら譜面をめくり、ヘッドフォンで、その曲を聴くことができる。
地下階の一角には、ショパンの死後に石膏で型をとって作られたという、実寸大の
「ショパンの手」が展示されている。
この手を見ていると、どことなく力強く、しかし、繊細な感じも受ける。

実は、われわれは「ショパン博物館」を、2回訪ねた。
1回目は、ちょっとしたハプニングがあり、ゆっくりと観ることが出来なかった。
博物館の最寄りの地下鉄の駅で、地上に出るためエスカレーターに乗っていると、
われわれの直ぐ後ろから、母娘で話している日本語が聞えてきた。
振り向いてみると、外国人の青年との三人連れだった。
「日本からお出でになったんですか」と声を掛けると、母親が「そうなんです」と
言って、エスカレーターに乗っている途中も、地上に出て歩道を歩いている途中も、
いろいろ話してくれた。彼女の話から、彼らも「ショパン博物館」に向かっている
のだとわかった。

この母娘は兵庫県宝塚市に住んでいて、20歳の娘は今秋からワルシャワの大学に
留学予定で、大学への留学手続きや日本領事館への在留手続きなどのために、母親
が付き添ってきたのだという。同行している青年はポーランド人で、娘が今、通って
いる関西地方の大学に留学していて、そこで若い二人は知りあい、恋に落ちたらしい。
われわれの前でも、二人は手を繋いで、戯れながら歩いて行くので、母親は「まったく、
親の前で…」と嘆く。博物館に入っても、母親はわれわれに次々に話しかけてきた。

別の日に、もう一度ゆっくりと鑑賞したいと思い、国内各地を回ってワルシャワに戻って
来たところで、改めて「ショパン博物館」を訪ねることにした。
入館すると、係の女性が「日本人ですか」と声を掛けてきたので、「そうです」と答えると、
上手な日本語で館内の概要と見学コースなどを説明してくれた。「どこで日本語を勉強した
のですか」と尋ねると、「大学で勉強しました。今年の夏、インターンで日本に行きます」
という。

第1回目の見学時に出会ったポーランド青年と言い、第2回目の見学時に日本語で
説明してくれた女性と言い、彼らの姿を見ていると、ポーランドの人々は日本に
対する関心が強いのかなあと言う印象を持った。

博物館の見学が終わり、出口を出ようとすると、入館する日本人の女性と出会った。
彼女は、「どうぞ」と言って、ドアを押さえ、われわれ老夫婦を先に出してくれた。
「有難う」と言うと、彼女は笑みを浮かべて軽く会釈をした。彼女は観光客なのか、
現地在住の人なのかわからないが、異国で礼儀正しい若い人に出会い、何か清々しい
気分になった。
それにしても、海外に出ると、一人旅の「元気印の若い女性」に出会うことが多い。
男性も、どんどん外国に出掛け、異文化に触れてほしいものだと思う。

ショパン博物館のホームページは次のとおり。
https://nifc.pl/en/
https://muzeum.nifc.pl/en/muzeum/kolekcja-artykul/1022/

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l