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われわれが、最初に見学した囚人棟のパネルには、1940年から1945年にかけて、ヨー
ロッパ各地から130万人のユダヤ人が連行されてきたと記してある。内訳は、110万人が
ユダヤ人、14~15万人がポーランド人、2万3千人がロマ人(ジプシー)、1万5千人が
ロシア人、その他2万5千人であった。そして、ここで虐殺された人の数は110万人、その
90%がユダヤ人だったとある。
殺された人々は、直ぐに焼かれて灰にされ、近くの川に捨てられたので、殺された人の名前は、
未だに判らないままとなっている。

「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクも、ここアウシュヴィッツに連行されてきた。
後に、彼女はアウシュヴィッツ2号の「ビルケナウ収容所」に移送された。
当時、彼女は15歳の少女だった。

1棟に700~1000人が収容されていて、人々は、押入れのような、否、蚕棚のような狭い
ところに、何人も寝かされた。配られる食料も限られ、必要摂取カロリーの1/10にも達しな
かったと言われている。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l