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人々は「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と言われて、収容所に
連れて来られたが、実際に自由になることは出来なかった。収容所から脱走
することも出来なかった。
収容所の周りには、金網が張られ、そこには200Vの電流が流れていた。
脱走を図れば、立牢に入れられた。牢の中には90センチ四方の区画があり、
そこに4人を入れ、数日間そのままにしておいた。牢全体に多人数を押し込めて
酸欠状態にした。
この立牢を見て、私は、韓国ソウル西大門にある刑務所跡の立牢を想い出た。
そこは、日本が韓国を侵略し統治していた時代、日本の官憲が韓国の独立運動家
などを逮捕し、収監・監禁していたところである。

収容所では、ドイツ軍兵士が人々の耳元で「逃げろ!」とささやくことがあった。
人々は、これを兵士の温情的な行為と思い込み、「自由になれる」と信じ、逃げる。
そこを、兵士は、背後から撃つ。兵士は、「ご褒美」として3日間の休暇がもらえる
からであった。

アウシュヴィッツ収容所には、「死の壁」と呼ばれるところがある。(上記写真の奥)
ここで、ナチス・ドイツは、抵抗した数千人の人々を銃殺した。
ここを見学に訪れた人たちは、白いバラを手向けていく。第2次世界大戦中の
ドイツにおいて広がった非暴力主義の反ナチ運動「白いバラ運動」を連想させる。
自国の国旗をリボンにしておいて行く人もいる。赤と白はポーランドの国旗、黒・
赤・黄はドイツの国旗、フランスやイタリアの国旗も見える。
国旗の数を見ると、ドイツからも多く人が訪ねていることがわかる。
ヨーロッパ諸国の人々は、ここを「和解の場所」として考えているのだという。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l