毎年,2月28日になると,想い出すことが二つある。
一つは,米VOA (Voice of America) の日本語放送が終焉した日の想い出
である。
もう一つは,台湾の 『台北二二八紀念館』 の一角にある 『台灣廣播電台』
の放送機器展示コーナーを見学した想い出である。
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1970年2月28日,VOAの最後の日本語番組が放送された。
当時は,BCLと言う趣味をほぼ中断していたが,新聞で,この話題を知り,
それまで仕舞い込んでいたトランジスターラジオを取り出し,この記念すべき
放送を聴いた。
VOA日本語課長,馬場・フランク・正三さんの 『お別れアナウンス』 に涙した
ものだった。
この日の番組は,語学学習のために使っていたソニー製3インチ・オープン
リールのテープレコーダーで録音した。
その収録音は,その後,カセットテープにダビング,更にMDディスクに移動,
今ではUSBステッィクに保存してある。この間,海苔の入っていたブリキ製の
缶に収め,大切に保管し続けている。
昨年5月には,KTWR (フレンドシップ・ラジオ) の 『お宝音源聴き比べ』 の
コーナーで,この音源が紹介された。
なお,VOA日本語放送の終焉については,次の記事でも紹介した。
◆ 懐かしの資料(66) VOA日本語放送回顧(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20907965.html
◆ 懐かしの資料(67) VOA日本語放送回顧(2)
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20908014.html
◆ その他関連記事一覧
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/MYBLOG/yblog.html?m=l&sv=%A3%D6%A3%CF%A3%C1%C6%FC%CB%DC%B8%EC%CA%FC%C1%F7&sk=1
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台湾では,今年の2月28日,『二二八事件』 から70年目の日を迎える。
台湾国際放送は,この日に合わせて,特集番組などを放送するものと思われる。
蔡英文総統は,記念式典で談話を発表するという。
http://japanese.rti.org.tw/news/?recordId=63020
2009年 1月,台北市にある,『台北二二八紀念館』 (旧・台灣廣播電台局舎) を
見学した。『台北二二八紀念館』 は,1947年2月28日に起きた民主化運動に
対する軍の弾圧で犠牲となった人々を慰霊するとともに,その意味を後世に伝え
ようとする施設である。
この建物は,日本が台湾を統治していた時代から第二次世界大戦での日本敗戦
に至るまでの間,『台灣廣播電台』 (The Taiwan Radio Station) の局舎として使用
されていたと言う。
現在では,この敷地と施設の様子は変わってしまったかも知れないが,2009年
に訪問した当時は,同じ公園の敷地内の,建物から50メートルほどのところに,
送信アンテナの設置跡があり,記念の石碑が建てられていた。
紀念館の2階の一角に,前面を厚手のガラス板で囲まれた,ラジオ局のサテライト
スタジオを想わせるコーナーがあった。
調整卓,旧式のマイクロフォン,木箱のラジオなどが陳列されている他,壁面には
放送中のスタジオ風景や局舎内部を写した写真パネルが展示されていた。
◆ 『二二八事件』,『台北二二八紀念館』 などについては,次のサイトで解説されて
いる。
http://www.taipeinavi.com/miru/34/
◆ 『台北二二八紀念館』 のホームページは次のとおり。
http://228memorialmuseum.gov.taipei/
◆ 当ブログ過去関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/8435241.html
一つは,米VOA (Voice of America) の日本語放送が終焉した日の想い出
である。
もう一つは,台湾の 『台北二二八紀念館』 の一角にある 『台灣廣播電台』
の放送機器展示コーナーを見学した想い出である。
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1970年2月28日,VOAの最後の日本語番組が放送された。
当時は,BCLと言う趣味をほぼ中断していたが,新聞で,この話題を知り,
それまで仕舞い込んでいたトランジスターラジオを取り出し,この記念すべき
放送を聴いた。
VOA日本語課長,馬場・フランク・正三さんの 『お別れアナウンス』 に涙した
ものだった。
この日の番組は,語学学習のために使っていたソニー製3インチ・オープン
リールのテープレコーダーで録音した。
その収録音は,その後,カセットテープにダビング,更にMDディスクに移動,
今ではUSBステッィクに保存してある。この間,海苔の入っていたブリキ製の
缶に収め,大切に保管し続けている。
昨年5月には,KTWR (フレンドシップ・ラジオ) の 『お宝音源聴き比べ』 の
コーナーで,この音源が紹介された。
なお,VOA日本語放送の終焉については,次の記事でも紹介した。
◆ 懐かしの資料(66) VOA日本語放送回顧(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20907965.html
◆ 懐かしの資料(67) VOA日本語放送回顧(2)
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20908014.html
◆ その他関連記事一覧
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/MYBLOG/yblog.html?m=l&sv=%A3%D6%A3%CF%A3%C1%C6%FC%CB%DC%B8%EC%CA%FC%C1%F7&sk=1
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台湾では,今年の2月28日,『二二八事件』 から70年目の日を迎える。
台湾国際放送は,この日に合わせて,特集番組などを放送するものと思われる。
蔡英文総統は,記念式典で談話を発表するという。
http://japanese.rti.org.tw/news/?recordId=63020
2009年 1月,台北市にある,『台北二二八紀念館』 (旧・台灣廣播電台局舎) を
見学した。『台北二二八紀念館』 は,1947年2月28日に起きた民主化運動に
対する軍の弾圧で犠牲となった人々を慰霊するとともに,その意味を後世に伝え
ようとする施設である。
この建物は,日本が台湾を統治していた時代から第二次世界大戦での日本敗戦
に至るまでの間,『台灣廣播電台』 (The Taiwan Radio Station) の局舎として使用
されていたと言う。
現在では,この敷地と施設の様子は変わってしまったかも知れないが,2009年
に訪問した当時は,同じ公園の敷地内の,建物から50メートルほどのところに,
送信アンテナの設置跡があり,記念の石碑が建てられていた。
紀念館の2階の一角に,前面を厚手のガラス板で囲まれた,ラジオ局のサテライト
スタジオを想わせるコーナーがあった。
調整卓,旧式のマイクロフォン,木箱のラジオなどが陳列されている他,壁面には
放送中のスタジオ風景や局舎内部を写した写真パネルが展示されていた。
◆ 『二二八事件』,『台北二二八紀念館』 などについては,次のサイトで解説されて
いる。
http://www.taipeinavi.com/miru/34/
◆ 『台北二二八紀念館』 のホームページは次のとおり。
http://228memorialmuseum.gov.taipei/
◆ 当ブログ過去関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/8435241.html