(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

カテゴリ: 旅,そしてラジオ

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異国の文化や珍しい食べ物に接したいと思って海外に出ても,
直ぐに日本食が恋しくなる。
中華圏の国々には油っこい料理が多いと言う先入観があるが,
案外,日本人の口にも合う,庶民的な食べ物に出会うことが
少なくない。

今回の台湾旅行では,様々な料理をいただいたが,その中から
幾つか紹介する。何れも,油っこさはない。
(左上) 陽明山山麓で放し飼いされた地鶏を蒸したもので,
     秘伝の味噌をつけて食べる
(右上) 豚肉にパン粉のような衣をつけて揚げたもの。
(左下) 淡水名物の魚肉団子スープ (プラスわんたん)
(右下) 有名な臭豆腐 (食べてしまえば,気にならず)

( 別ブログ関連記事 )
http://blogs.yahoo.co.jp/taipei_hospital/10536469.html

( 2012-01-21 更新追記 )

わが連れ合いが,旅行先の台湾で 『大動脈解離』 を発症して,きょうで
ちょうど1年になりました。

皆さんのおかげて,連れ合いはすっかり元気を取り戻すことができました。
心から感謝申し上げます。

台湾では,本当に多くの方々に,助けていただきました。
このことについては,拙ブログにかきましたが,なお語り尽くせない感じが
しております。

日本に帰国した後,わが夫婦は,近くに住む連れ合いの知人や家族の
支援のおかげて,予期したよりも遥かに早く,普通の生活を手にすること
ができました。

拙ブログに寄せていただいた,心温まるメッセージの数々は,私たちに
とって大きな励ましとなりました。

連れ合いは,『大動脈解離』 に関するネット情報,特に,大手術後の生存
率が経過年数とともに低くなっていくという情報を目にして,内心は穏やか
でないようです。

私自身が,連れ合いの様子を見ている限り,人間の本来的な寿命は覚悟
しておく必要はあると思うものの,この病と手術の影響によって,それが縮
むことはないように見えます。それほど,元気に生活しています。

そうは言いながら,二人とも人生のゴールは,視界に入ってきています。
悔いを残さないように,体調に注意しながら,これからも機会を得て,未だ
見ぬ世界に足を運びたいと思っています。

2012-01-21                             当ブログ管理人

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( 2011-05-25 掲載 )

本年1月,台湾を夫婦で旅行中に,連れ合いが 『急性大動脈解離』 と
いう病気を発症し,現地の病院で緊急手術を受けました。

高度の技術を有する医療チームの懸命の治療と看護により,そして,
多くの皆様からいただいた温かいお言葉の励ましにより,術後経過は
極めて順調で,ほぼ元通りの元気を取り戻すことが出来ました。

その顛末については,別ブログ 『春風そよぐ台北』 に書きますので,
ご覧いただければ有難く思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/taipei_hospital

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プサンに滞在中,雨で一日中,動きの取れない日があったので,ロッテデパートにある
映画館に出かけ,『ウォール・ストリート』 を観た。日本では,来年の2月に公開予定と
いう。音声は英語,字幕はハングルというもので,画面でニューヨークの街並み楽しむ
だけで,ストーリーはほとんど理解できない。

映画を観た後,階下の 『GAYA Korean Restaurant -가야』 というお店で,ソルロンタンと
冷麺を賞味した。

実は,辛い料理が苦手で,これまで,韓国の料理はできるだけ避けてきたが,今回の旅
で,辛くなくて,美味しい料理がこんなに沢山あることを知り,もっと頻繁に韓国に来れば
良かったと後悔する。

支払いをする時,ふと壁を見上げると,芸能人と思われる人たちのスナップ写真が何枚
も飾ってある。日本語のわかる支配人さんが 『当店には,多くの有名人が見えます』 と
語る。

この店の味が忘れられず,明日でプサンとお別れという日,再び訪れた。
今度は,プルコギを食べた。夫婦で別々のものを頼もうとしたが,『プルコギは,最低2人
前からの注文受付け』 ということで,これを頼むことにした。

しかし,韓国料理は,どこの店でも同じだが,付け合せの品が幾つも出てくるので,単品
料理を食べている気がせず,様々な料理を食べ比べている感じがする。
プルコギは肉も大変柔らかく,甘辛ソースの塩梅も最高で,前回と同様,この店の料理
には,大満足である。

支配人さんが,われわれのことを覚えていて,『今度,又,プサンに来てください。ご来店
を歓迎します』 と語り掛けてくれた。
プサンは,美食の街である。

                    (注) 『韓国ラジオ紀行』 は,この記事が最終回です。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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韓国を旅行中,レストランに入ると,焼肉や汁物などの単品料理を食べている人が
多いが,時々,沢山の小皿に盛り付けられた料理を,所狭しとテーブルに並べて
食べている人を見かけた。これを 『韓定食』 と言うのだそうだ。

キョンジュ (慶州) に,お母さんの味を提供する 『韓定食』 のお店があると聞いていた
ので, 『瞻星台』 を見学した後,この店に行ってみた。

メニューはなく,席に着くと,直ぐに箸,スプーン,水が並べられ,続いて小皿に盛り
付けられた料理が次々と運ばれてくる。皿の数は,ざっと数えただけでも30近くある。
味わう前から,並べられた料理の数々に,何か,嬉しくなってしまう。

焼魚,煮物,炒め物,漬物,塩辛,ご飯,みそ汁からデザートまで,何種類もの料理
には,それぞれに個性のある味がある。料理自体は少し塩辛い感じはするが,ご飯
と一緒に野菜に包んで食べると,ちょうど良い味わいになる。

韓国の人々は,毎日,こういう料理を食しているのであろう。
韓国の家庭の食卓は,何と豊かなことか。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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昔のソウルの面影が残る,プクチョンハノクマウル (北村韓屋村) を訪ねた。

地下鉄3号線 『アングッ(安国)』 駅で降りて,北村韓屋村に向かう途中,狭い
路地が賑わっていたので,その路地に入ってみた。小さな飲食店が軒を並べ,
昼食時とあって,韓国料理の良い匂いが流れてくる。

店の中をちょっと覗くと,近隣のワイシャツ姿のサラリーマンや女性たちが,
わいわい・がやがや話をしながら,昼メシ食べていた。
日本のオフィス街でも見られる,あの昼休み風景である。

この狭い路地は,どこかの風景に似ていて,懐かしい。
そうだ! 数年前まで勤めていた職場のある東京・神楽坂に,『神楽小路』 とか
『本多横丁』 という小さな路地があり,廉価な,庶民的なお店が軒を連ねている。
そこに,本当に良く似ている。

ある定食屋さんに,入ってみた。
メニューを見た途端,日本食が恋しくなり,『てんぷら定食』 と 『うどん定食』 を
頼んだ。お店の主人は日本語が分かるようで,われわれが日本人だとわかると,
おかみさんが 『サービスだよ』 と言って,ブリと思われる魚のあら煮とサンマの
塩焼きを出してくれた。
これが,また,えも言われぬ旨さである。まさか,韓国で,あら煮と塩焼きに会え
るとは思わなかった。

注文した定食本体よりも,ずうっと美味しかった。
忘れることのできない,庶民の店,庶民の味であった。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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『クムコクサムゲタン (금곡삼계탐)』 は,テグ (大邱) の街に行ったら,
ぜひ訪ねてみたいお店だ。

ソウルから,新幹線KTXに乗って,ほぼ1時間40分,トンテグ (東大邱)
に着く。地下鉄に乗り換え,テグの中心街へ。

賑やかな西門市場では,リンゴ,焼きクリ,煎餅などを買い込む。近郊の
生産者であろうか,おばちゃんたちが露店で売っている。

薬令市は,薬店が何十軒も続く通りが,数百メートルもあろうか。漢方薬
の濃い香りが漂う。いや,『漢方』 というよりは,『韓方』 の方が正しいの
かも知れない。

歩き続けて,お腹が空いたので,『クムコクサムゲタン』 というお店を探す
が,ガイドブックを見ても,一向に見つからない。『地球の迷い方』 の異名
をとる,このガイドブックは諦めて,街角でビラ配りをしているおばちゃんに
尋ねてみた。

親切なおばちゃんは,『サムゲタン』 『サムゲタン』 とつぶやきながら,
連れ合いの腕を掴んで,その店の前まで連れて行ってくれた。地元でも,
有名な店のようだ。

店に入ると,お客は,皆んな同じようなものを食べている。
メニューを見て,その理由が分かった。メニューには,サムゲタンとフライド
チキンだけが載っている,シンプルなものだ。

サムゲタンとハーフサイズのチキンを注文。
夫婦で分けて食べても,十分なボリュームである。
サムゲタンのスープは,かなり薄味なので,テーブルに置いてある岩塩を
少し混ぜるて食べると,その味は絶妙である。
チキンも適当にスパイスが効いて,こんがりと揚っている。美味である。

こんな美味しい料理を前にすると,ビールを一杯やりたいところだが,
昼食時だし,これからトンテグに戻り,プサンに向かわなければならない。
アルコールは,慎むことにした。今夜まで,お預けだ。

デザートとして,シナモン風味の韓国のお茶を出された。
これが,何と上品な味のすること,美味しかった。

参考までに,この店について紹介しているサイトを付記する。
http://kr.gugi.yahoo.com/maple/detail/detail_index.html?cid=2608977567

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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キョンジュ (慶州) は, 歴史の街である。
古都キョンジュは,町全体が文化財という感じで,2000年12月にユネスコの
世界遺産として登録された。

石窟庵からキョンジュ市内に戻り,徒歩で 『瞻星台』 を訪ねた。
東洋で最も古い天文台だとする説もあり,2010年KBSカレンダーの10月分
に写っているのは,この 『瞻星台』 である。

ガイドブックでは,『瞻星台』 について,次のように説明されている。
  新羅時代,天文を観測した瞻星台は,新羅善徳女王 (西暦632~647年)
  によって建造築造された。

  瞻星台は,陰暦の数と同じ 361.5 個の花崗岩を材料にして積み上げ,
  基壇は12個の長方形,真ん中の窓へりから上と下の石段を,それぞれ
  12層で組み上げた,巧妙な造りとなっている。
  (注 : 左側写真は,アングルが良くないため,窓が写っていない)

  瞻星台の頂上の井型 (いがた) の石の囲い部分は,新羅の子午線の
  標準となって,各面はちょうど東西南北の方位を示す。
  
  又,真ん中の窓は真南に向いてあり、春分と秋分の時には日の光が
  瞻星台の底辺まで照り,夏至と冬至の時には瞻星台の下の部分から
  日の光が完全に消えて,春夏秋冬を分ける区分点の役割を持っていた。
  
  瞻星台は,それ自体が非常に科学的な建築物であり,積み上げた一個
  一個の石にも,象徴的な意味が含まれている新羅時代の貴重な築造物
  である。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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韓国鉄道公社 KORAIL の外国人専用 KR-PASS を使って,プサン(釜山) から
キョンジュ (慶州) まで,『セマウル号』 に乗った。新幹線のKTXに比べて,
もちろんスピードは落ちるが,前後の座席の間隔がゆったりしていて,疲れが
少ない。帰りの電車は,『ムグンファ号』 だったが,こちらはイマイチの感じだ。

プサンの街並みを離れると,間もなく,海岸線を走る。
カフェカーでコーヒーとサンドイッチを買って,窓側のベンチに座ると,車窓に
は松林が流れる。

キョンジュ駅構内の観光案内所で,『石窟庵』 に行くバスの乗り場を教えて
もらう。このバスは 『仏国寺』 が終点で,そこで,別のバスに乗り換え,20分
も走ると,『石窟庵』に到着する。

バスから眺める,キョンジュの田園風景は韓国の原風景であろうか。絶景で
ある。舗装された道路の両側には様々な木々が植樹されており,季節ごとに
咲き誇るのであろう。特に,春の桜並木は壮観であろうと思われる。

ガイドブックでは,『石窟庵』 について,次のように説明されている。
  国宝第24号に指定され,ユネスコの世界遺産にも登録されている。
  石窟庵は,統一新羅の宗教的情熱の結晶体であり,国宝の中でも
  最高だと呼ばれる文化財だ。新羅景徳王10年(751年)に,時の
  宰相キム・デソン (金大城) が,前世の父母のため造り始めた
  もので,774年にキム・デソンが死んだ後は,国が引き継ぎ完成
  させたという。

石窟庵のギフトショップで,本尊仏の絵葉書と石塔などの切手セットを買い,
自分で自分宛てに郵送した。それが,上の写真である。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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パンムンジョム (板門店) を訪ねた。これより先,プサン (釜山) 滞在中に
に,ちょっとしたことから,『朝鮮戦争』 の経緯について,相当詳しく勉強する
機会があった。

プサンで,『一日中乗り降り自由』 のシティツアーバスに乗り,観光地を見て
回った。主要な観光スポットを周るバスが,一時間ごとに運行されているので,
大変便利である。

実は,ソウルで,KBS日本語班の幸田儔朗さんから,『あのバスは良いよ』
と,そっと切符の買い方などについて,アドバイスをいただいていたのだ。
幸田さんは,KBS日本語番組の 『玄界灘に立つ虹』 で木曜日のキャスター
を務め,『シャチのうろきょろ観察記』 を担当する “旅の達人” でもある。

観光途中で,予定していたバス停を間違って,別の所で降りてしまった。
ところが,偶然にも,そこは 『在韓国連記念公園』 という,朝鮮戦争で死亡
した国連軍兵士を追悼する墓地である。日本では 『朝鮮戦争』 と呼ばれる
ことが多いが,韓国では 『韓国戦争』 と呼ばれている。

2人の国連軍兵士が立つ正門を入ると,『追慕館』 があり,そこで朝鮮戦争
の実態をまとめたドキュメンタリーフィルムを視ることができる。視るのは
われわれ夫婦だけだったが,日本人であることを告げると,係のスタッフは
音声を日本語に切り替えてくれた。

このドキュメンタリーでは,あの戦争に,韓国,北朝鮮,ロシア,中国,国連
がどのような形で関わったのか,詳細に解説されている。

当ブログ子が小学生だった頃,生まれ育った寒村を 『38度線』 が通って
いたことから,大人たちは,よく 『朝鮮戦争』 と 『38度線』 を口にしており,
子供ながらに,この2つの言葉が頭の中に焼き付いていた。

その後,歴史の教科書に 『朝鮮特需』 などという言葉が出てきたのも記憶
しているが,恥ずかしながら,朝鮮戦争の実像を理解する機会がなく,今日
に至っていた。

このドキュメンタリーフィルムを視ていたおかげで,数日後にプサンからソウル
に戻って,パンムンジョムに向かうバスのガイドさんの説明は,一つ一つ良く
理解することができた。

朝10時過ぎ,ソウルのロッテホテルにある 『大韓旅行社』 のオフィスに集合
して,JTBツアーの参加者と一緒に観光バスに乗り込む。
統一公園,自由の橋などを経由して,統一大橋検問所に到着。バスの中に
乗り込んできた国連軍兵士が,一人ひとりのパスポートを点検した後,会議室
に移されて,パワーポイントを使って,朝鮮戦争の経緯と現在の状況について
説明を受け,最後に,参加者は 『見学者宣言書』 に署名する。

『宣言書』 には,見学中の様々な注意事項の他,『事変,事件を予期すること
ができないので,国連軍,米国,韓国は訪問者の安全を保障することはでき
ない』 という一項も記載されており,これに同意することになる。
なお,この宣言書は,帰りのバスの中で,返してくれる。

説明が終わると,国連軍管轄の専用バスに乗り換えて,軍事分界線上にある
『会談所』 の建物に向かう。運転手は,もちろん国連軍兵士。もう一人の兵士
が運転手の横で仁王立ちになり,参加者が禁止されている行動をとらないか
どうか,見張っている。バスの中には,緊張感が張り詰める。

参加者は2列に並んで,国連軍兵士の先導で,いよいよ 『会談所』 に到着。
周辺には,数人の兵士が立ち,物音一つしない,この空間には,緊迫感の
ある独特の空気が流れる。

突然,警備の兵士から,大きな声が飛んだ。
参加者の一人が,禁止されているアングルで写真を撮ってしまったようだ。
ただちに,兵士が駆け寄り,デジタルカメラを操作させて,問題の個所を
削除させた。参加者も,ガイドさんも,一瞬の出来事に,ビックリした。

テレビのニュースなどで目にする,あの軍事停戦委員会の会場に入る。
建物の中では,南北の関係者が会談するテーブルや警備にあたる兵士の姿
などを撮影することができる。兵士とのツーショット撮影も可能だが,話し掛け
てはならない。

『会議所』 の向こうには,北朝鮮の白亜の 『板門閣』 が見え,建物の前では
北朝鮮の兵士が直立不動だ。この建物は北朝鮮の軍人の事務室として使用
され,屋上は北朝鮮側の訪問客の展望台になっているという。

その後,『帰らざる橋』 などを車窓から見学,また,遥か向こうには北朝鮮の
『宣伝村』 を望むことができる。経済力を誇示するために建てたもので,鉄筋
コンクリート造りのアパート群に見えるが,人は住んでいないという。

『休戦状態』 にあるパンムンジョムの現実を,改めて認識した。
見学の翌日には,軍事分界線区域で北側からの発砲事件が発生したという
ニュースを聴き,改めて厳しい現実を知るとともに,これが前日に発生して
いたら大騒ぎになったことだろうと,内心ホッとした。

見学から帰った夜,大きな疲れを覚えながらも,日本から北朝鮮に向けて放送
されている 『しおかぜ』 と 『ふるさとの風』 を聴いた。前者の 9950kHz,後者
の 6135kHz が良好に受信できる。38度線の向こうで,多くの人々が,この
放送を聴いていることだろう。どのような想いで,聴いているのであろうか。

自らの意に反して,北朝鮮に連れて行かれた人々が,無事に日本や韓国など
に戻ることができることを祈り,北緯38度の軍事分界線が消滅して,この地に
生きる人々に,自由が回復する日が来ることを願う。

なお,右側の写真は,ソウルの 『63ビル』 の地下街にある書店で購入した,
韓国全土地図のケースカバーである。中を開くと,A1版の大型地図となる。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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プサン滞在中,夜間は,もっぱら日本の中波放送を聴いていた。
『ラジオジャパン』 で,プロ野球のクライマックスシリーズを聴いていたが,
ふと思い付いて,中波の 594kHz (NHK東京第一) に合わせてみると,
大変良好に聴こえている。954kHz (TBSラジオ),666kHz (NHK
大阪第一) も好調である。

そこで,日本の中波放送をチェックして見た。
受信できた周波数は,次のとおりであるが,局名アナウンスは確認して
いないので,一応の推定である。正に,日本と韓国は本当に近い隣国で
あるということを実感する。
この他にも,1044kHz (中国国際放送),1170kHz (韓国KBS) が,
混信しながらも聴こえる。

 576 NHK鹿児島第一
 612 NHK福岡第一
 666 NHK大阪第一
 693 NHK東京第二
 729 NHK名古屋第一
 765 山口放送
 774 NHK秋田第二
 828 NHK大阪第二
 873 NHK熊本第二
1125 NHK沖縄第二
1152 NHK高知第二
1179 毎日放送
1215 KBS京都
1224 NHK金沢第一
1233 長崎放送
1242 ニッポン放送
1278 RKB毎日放送
1314 ラジオ大阪
1332 東海ラジオ
1368 NHK高松第一
1386 NHK鹿児島第二
1413 九州朝日放送
1593 NHK松江第二

当ブログ子は,毎朝6時半から,TBSラジオの 『森本毅郎スタンバイ!』
を聴くのを日課としているので,夜と同じように,朝も日本の中波放送が
聞こえることを期待したが,それはダメだった。誠に残念である。

幾つかの放送局に受信報告を送ったが,現在までに届いたべりカードは,
NHK大阪からのものだけである。

NHKテレビの朝の連続ドラマ 『てっぱん』 のPRカードを利用したもので,
表面には受信データとして 『受信地 : 大韓民国釜山市』 が記載されて
おり,貴重な想い出カードの一枚となった。

( 『旅,そしてラジオ』 の過去記事一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1028872.html?m=l

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