(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

カテゴリ: HCJBアンデスの声

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HCJB日本語放送 (Reach Beyond-Australia ) は3日,尾崎一夫さんの
『日本ふれあいの旅 2016』 の日程を,ホームページ上で発表した。
『リスナーの集い』 については,細部が未定の地区もあるが,追って,発表
されるものと思われる。
http://japanese.reachbeyond.jp/SW_Schedule/2016Japan_Schedule.pdf

同局のホームページは次のとおり。
http://japanese.reachbeyond.jp/

同局の放送スケジュールは,次のとおり。
http://japanese.reachbeyond.jp/SW_Schedule/SW_Schedule.html

※ この情報は,HCJB日本語放送・東京特派員の岩沙一彦さんから
  いただきました。いつも,有難うございます。

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皆さんが,異口同音に,HCJB日本語放送は 『家族的』 であると語った。
先月,東京淀橋教会で開かれたHCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念
集会でのことである。

この集いは,尾崎一夫・久子さん夫妻が1963年6月に日本を離れ,1964年5月
にHCJB日本語放送 『アンデスの声』 の放送を開始して50年になるのを記念して,
尾崎一夫さんが,尾崎夫妻の放送を様々な形で支えてくれた人々と放送を聴き続
けてくれたリスナーに感謝するために開かれたものである。
(上記画像は2013年5月のベリカードで,マイクに向かう尾崎夫妻である)

尾崎夫妻の番組制作に勤しむ姿を取材したフジテレビのドキュメンタリー (1976
年制作) も,放送伝道の活動を支え続けている教会関係者も,尾崎夫妻の招きで
エクアドルを訪ねた福音歌手も,そして,短波でHCJBを聴き続けているリスナー
も,一夫さんと久子さんの仲睦まじい夫婦愛,子供たちとの伸び伸びとした家族愛,
信仰に支えられた人間愛,それは 『HCJB日本語放送』 そのものであると讃え,
その生き方を 『家族的』 であると表現した。

HCJB 『アンデスの声』 日本語放送は2000年12月31日,エクアドルからの最後
の放送をナマ番組として放送した。36年の歴史に幕を閉じようとしていた。この番組
を放送するために,尾崎さんはリスナーから 『一言メッセージ』 を募ったところ,沢山
のメッセージが寄せられた。
その一部は,36年間の記録をまとめた 『アンデスの声 リスナーズアルバム』 (山田
耕嗣編集,2001年,マガジンランド発行) に収められている。そのとき,私は,次の
ようなメッセージをFAXで送った。
  ≪リスナーの目線と,普段着のままで,人生を照らしてくれた≫

その後,様々な経緯を経ながらも,日本の熱烈な尾崎ファンの “日本語放送復活”
コールに応えたいと言う尾崎さんの願いが天に届いたのであろうか,オーストラリア
政府からHCJBのクヌヌラ送信所建設が認可されたのを機に,2006年6月,奇跡
ともいえるHCJB日本語放送の再開が実現したのである。

現在,土曜日には尾崎さんが制作したインタビュー番組などが放送され,日曜日
には淀橋教会の峯野龍弘先生の聖書解説が放送される。お二方とも,そのお話
は,単なる 『説教』 というものではなく,ご自身の人生経験に根ざした,言い換え
れば,リスナーにとって身近な話題,例えば,毎日の仕事の中で経験する様々な
試練,社会生活で経験する複雑な人間関係,そう言った,誰もが直面するであろ
う問題の解決にヒントを与えてくれる,元気を与えてくれるお話が多いことから,
リスナーたちはHCJBの番組に耳を傾けるのだ。

振り返れば,『アンデスの声』 で紹介される,南米各地の移住者から届くお便りと
それに対して尾崎夫妻から発せられるメッセージは,家族同士の語らいを想わ
せるものであった。
ここでも,リスナーの目線で,普段着のままで,リスナーに語りかけたのである。

久子さんは2006年9月,夫である一夫さんと娘さんやお孫さんたち,家族に
見守られながら,息をひきとった。静かで,厳かな最期であったと言う。
http://www.hcjb.org/hcjb-global-news/memorial/veteran-japanese-hcjb-world-radio-program-producer-dies-of-cancer.html

今回の記念集会についても,尾崎さんは天国の久子さんにいろいろと相談した
ことであろう。そして,集会が滞りなく執り行うことが出来たとの報告を聞いて,
久子さんも喜んでいることだろう。

記念集会の翌日,突然に一つの悲報が届いた。
集会で配られたパンフレット 『HCJBアンデスの声 50年の歩み』 を制作した
田邊裕一郎さんのおばあちゃんが病気のため亡くなったのだ。
エクアドルで,田邊さん一家と尾崎さん一家は,正に 『家族』 そのもののお付
き合いであったと聞く。

改めて,久子さんと裕一郎さんのおばあちゃんのご冥福をお祈りしたい。
そして,HCJB日本語放送が,家族的な放送として,リスナーの目線で,
普段着のまま,末永く続くことを祈る。

※ 尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

※ HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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上記画像は,HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念の
ロゴマークである。5月26日に東京淀橋教会において開催された
記念集会の式次第 (プログラム) に使用されたものを,同局の
ご厚意により提供していただいた。

このロゴマークは,尾崎さんの娘さんであるジョイス (慶子) さんが,
今回の集いのために独自にデザインし制作したものである。

HCJB日本事務所の新川先生によれば,この日の記念集会には,
短波放送愛好者,HCJBファン,尾崎ファン,そして教会関係者など,
全体で83名の皆さんが出席した。中には,出張業務の合間に出席
した,四国からのリスナーもいた。

記念集会の前半はゲストスピーチと記念イベントが行われ,後半は
リスナー交歓のコーナーである。このコーナーは,例年行われている
『HCJB関東地区リスナーの集い』 を兼ねたものである。

このコーナーの冒頭,各地のリスナーから寄せられた 『HCJB日本語
放送50周年おめでとう』 のお祝いのメッセージが紹介された。

京都のリスナーは,『一度終了した,HCJB日本語放送復活のための
ご努力に,敬意と感謝を表します』 と述べ,仙台のリスナーは,『私は
高校生の頃からBCLを始め、約50年になります。HCJB日本語放送
とほぼ同じ歴史があることになります。我が青春の思い出はHCJBと
共にあり』 と書いた。そして,岩手のリスナーは,『オーストラリアからの
短波再開,本当に嬉しかったです。60周年記念の集会には仕事を
さぼっても行きます』 と結んだ。

インタビューのトップバッターは,ここ数年来,すっかり指定席と化した
東京のリスナー A さんである。A さんは,HCJB日本語放送などの
海外からの短波放送だけでなく,国内の中波放送も熱心に聴いている
リスナーである。

Aさんは,尾崎さんが米国シカゴに居を構えていた2006年の秋,
取材旅行でシカゴに立ち寄る予定となっている永六輔さんに,ある
提案を送った。永六輔さんは,TBSラジオの 『土曜ワイドラジオ
TOKYO』 や 『誰かとどこかで』 でパーソナリティを務めている。
同じ放送人である尾崎さんと話してほしいと提案したのだ。

永さんは,時間的制約もあり,直接面談はできなかったものの,
シカゴ空港か,どこかからの電話で 『ラジオ談義』 が実現した。
尾崎さんと永さんは,翌週,それぞれ,自らの番組の中で,その日
の出来事を紹介した。

続いて,B さんが 『最近,新しい地域に引っ越したが,HCJBの放送
が聞こえなくなった。対応策を教えてほしい』 と発言すると,C さんが
アンテナの張り方を紹介し,D さんが持参した小型ラジオを手にして,
受信機の選び方などを助言した。

残念ながら,リスナー交歓コーナーが佳境に入った頃,司会者から
閉会の時刻が迫っていることが告げられた。そして,配られた用紙に
次の3点を記入しほしいという,尾崎さんからのお願いが紹介された。
   『HCJB日本語放送50周年』 のメッセージを書いてください。
   今回は,例年のようにリスナー全員にインタビューすることが
    出来なかった。改めて尾崎さんにお会いしたいと希望する
    リスナーは,希望の場所と時間,連絡先などを書いてください。
   尾崎さんは,HCJB日本語放送の足跡を記した 『本』 を著わす
    予定です。この 『本』 を書くに当たって,どのような視点で,何を
    書けば良いのか,皆さんのお知恵を拝借したいので,ご意見を
    聴かせてください。

閉会後,CGNTVの取材チームが何人かのリスナーにインタビューを
行なった。そのニュース映像は次のサイトで視ることが出来る。
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?bit=high&vid=61418&dreamon=Y

※ 尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

※ HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の模様を伝える
ニュース映像が,CGNTVのサイトで公開された。
この集会は5月26日 (日),東京新宿の淀橋教会エクレシア・ホールで
開催され,CGNTVの北上菜穂子ディレクターが取材した。

ニュース映像は,次のサイトで視ることが出来る。
尾崎さんをはじめ,リスナーへのインタビューも含まれている。
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?bit=high&vid=61418&dreamon=Y

CGNTVのホームページは次のとおり。
画面左 "FOCUS" の "No.563" が,HCJB50年のニュース映像である。
http://japan.cgntv.net/

HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会では,BCLにとっては
本当に懐かしいお顔を拝することが出来た。PBA (太平洋放送協会) の関係
者,KTWR 『太平洋の声』 のアナンサーたちである。

◆ 中川信義さんは祝賀スピーチの中で,『HCJB日本語放送50周年をお祝い
  するとともに,今後とも,尾崎さんが,温かいお人柄で,福音を電波に乗せて,
  リスナーに届けていただきたい』 と述べた。

◆ 渡辺時子さんは,数日前に身内の不幸があり,疲れから体調不良のところ,
  お粥で体力を繋ぎながらお祝いに駆け付けた。『太平洋の声』 時代を彷彿と
  させる,落ち着きのある声で,尾崎さん宛に届いた祝電を披露した。

◆ 慶田菜穂子さん (現姓・北上) は,CGNTVの記者兼カメラマンとして,記念集会
  の模様を取材した。その颯爽と動き回る姿に,どこのジャーナリストかと関心を
  持ったが,あの慶田さんだった。記念集会がお開きとなった後,数人のリスナー
  にインタビューした。

記憶が薄れてしまったため,帰宅後,様々な資料を掘り起こして,記憶を辿って
みた。PBAは,かつてはグアム島のKTWRから日本語番組の 『太平洋の声』
を放送していた。

◆ 中川さんには2004年,当時放送されていた 『しのぴろの “教えてBCL”』 の
  制作責任者であったことから,収録日程の調整等のため,初めてお会いした。

◆ 渡辺さんからは,BCLを再開した年,1994年4月の受信報告に対してベリ
  カードをいただいたが,カードには受信データの他,『はじめまして。これから
  も,よろしくお願いします。渡辺時子』 というコメントが,伸び伸びとした文字で
  付記されていた。(上記,上段画像)

◆ 旧姓・慶田さんからは,2000年にバースデーカードを送っていただいた。
  当時は,スタッフの遊び心から 『BCL村』 というものが作られ,リスナーが
  『村民登録』 をしていた。このバースデーカードは,BCL村郵便局で投函され,
  発信者として 『村長 : 北上,局長 : K田』 のサインが見て取れる。
  (上記,下段右画像)

KTWR 『太平洋の声』 は,リスナーに惜しまれながら,2007年3月に日本語
放送を休止した。
同局のベリカードには,グアムKTWRが他言語リスナーの受信報告にも応えら
れるように,同局のアンテナサイトや送信設備の写真をデザインしたものの他,
PBAが日本語放送専用に特製したものもあった。その中で最もユニークなカード
は,グアム島で行われた市民マラソンで,『太平洋の声』 のスタッフが完走した
時のものであろう。(上記,下段左画像)

※ 尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

※ HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会には,短波放送リスナー
の他にも様々な人々が出席して,尾崎さん夫妻の偉業を称え,お祝いの言葉を
贈った。

◆ 記念集会全体の進行を司ったのは,溝口捷支さん。
  2003年から2011年まで,取手キリスト教会の牧師を務めた。
  尾崎さんとは神学校時代からの親友で,寄宿舎ではルームメイト。
  今でも,互いにニックネームで呼び合うことが多いと言う。
  http://www.geocities.jp/toridech/

◆ 集会は,淀橋教会アンサンブル・アガペーの記念演奏で幕を開けた。
  演奏題目は,『主の真実は Great Is Thy Faithfulness』 と 『慈しみ深き』 である。
  クリスチャンではない者にとっても,讃美歌の旋律は深く心に沁みる。
  (上記写真の上手が,淀橋教会アンサンブル・アガペーの皆さん)
  http://www.yodobashi-church.com/

◆ 始めのお祈りは,久里浜福音教会名誉牧師の深澤健一さん。
  久里浜福音教会は,尾崎さん夫妻がHCJBで放送開始した当初から,『HCJB
  日本語放送を支える会』 を組織し,様々な形で支援している。
  http://church.ne.jp/kurihama_fch/

◆ 特別賛美は,福音歌手のベドウ路得子さん。
  HCJB日本語放送には,エクアドル時代から何回も出演して,魂がほとばしり
  出るような,澄み切った彼女の歌声は,人々を魅了する。
  この日は,宣教師で夫のマークさんとのデュエットも披露した。
  http://japanese.hcjb.org/Messages/Archives/ProgramNote4_2013.pdf

◆ 琴古流の尺八で讃美歌を演奏してくれるのは,笠間市の飯田廣さん夫妻。
  尾崎さんが50年前,初めて飯田さんの教会を訪ねてから今日まで,常に
  HCJB日本語放送を支援してきた。尺八が奏でる讃美歌は初めて聴いた。

◆ そして,硬軟両様の話題を取り上げながら,『腹話術』 を披露するのは,
  人形漫談師の花島二郎さん。
  HCJBのインタビュー番組にも出演し,数年前の 『関東地区リスナーの
  集い』 にも特別参加した。
  http://www.sepia.dti.ne.jp/hanajima/

◆ 閉会のお祈りは,淀橋教会副牧師の新川代利子さん。
  HCJB日本事務所を預かり,その責任者としてリスナーからの受信報告や
  お便りの返信業務全般を担当している。
  毎月第三日曜日に放送される 『お便り交換の時間』 に出演していて,その
  穏やかで上品な語りには定評がある。
  http://www.yodobashi-church.com/aboutus.html

※ 尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

※ HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
  http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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東京淀橋教会で開かれた,HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会 ――
会場の受付では,ネームカードと資料が配布された。記念集会の進行次第とHCJBの
ホームページに掲載されているニュースレター "PROGRAM NOTE" 5月号を挿んでいる
のは,『HCJBと共に育った,ある子供のお祝いレター』 と題する4頁建てのパンフレット
である。(上段画像 : 外側 P.4, P.1 下段画像 : 見開き P.2, P.3)

出席者は,このパンフレットを手にして,『おおっ』 と驚き,『スゴーイ!』 と声を上げた。
米国カルフォルニア州でコンピューターアートなどに取り組んでいる田邊裕一郎さんの
制作によるものである。

トップページには,エクアドルの首都キトにあるHCJB日本語部オフィスと局舎前庭の
花壇のイラストが配されている。
そして,田邊さんからのお祝いメッセージには,『毎日,学校が終わると決まって,ここ
へ足を運んだものです。夕日に温められた本棚の匂いと,尾崎夫妻の笑顔がとても
心地よかった,忘れられない空間です』 とある。

見開きページは 『HCJBアンデスの声 50年の歩み』 で,尾崎ファミリーの似顔絵,
マイクロフォン,短波放送受信機,HCJBのアンテナ群などのイラストでいっぱいで
ある。

ラストページには,尾崎夫妻が制作拠点をエクアドルから米国シカゴに移し,そこで
自宅の地下室に建設した特設スタジオの様子が描かれている。
『あとがき』 には,尾崎さんから田邊ファミリーに対する感謝メッセージが載っている。

このパンフレットを作成してくれた田邊裕一郎さんについて,尾崎さんは添書きで次の
ように紹介している。
  祖父が南米エクアドルで開拓農業。父は日本人初のバナナ有機栽培を手掛け,
  『田邊農園バナナ』 は日本のスーパーでも発売中。長男も将来有望!

尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会では,開会に先立ち,貴重な
ビデオ映像 『エクアドルにアンデスの声を見た』 が披露された。

東京のフジテレビが1976年当時に放送アしていた 『ドキュメント日本人』 シリーズ
の一本で,エクアドルの首都キトで尾崎夫妻がHCJB日本語番組 『アンデスの声』
を放送する姿を追ったものである。慌ただしく朝食を摂り,親は放送局に出勤し,
子供たちは登校すると言った,朝の慌ただしさなど,尾崎ファミリーの日常生活も
取材している。

上記画像は,『アンデスの声』 リスナーズアルバム (2001年,マガジンランド発行)
に掲載されたフジテレビの取材風景である。同誌は,山田耕嗣さんが編集した。

尾崎さんは,この番組が収められた 16m/m フイルムを大切に保管しており,今回
の50周年記念集会で参加者に観てもらうため,専門業者に依頼してDVD化した。
原版はカラーであるが,37年の歳月を経て,かなり色彩は落ちてしまったが,番組
内容は色褪せてはいない。

『BCLブーム』 に沸く日本のリスナーに向けて,あるいは故国の香りと情報を待って
いる南米各地の移住者に向けて,来る日も来る日も番組を放送し続ける尾崎一夫・
久子夫妻の姿が余すところなく描かれている。

『エクアドルにアンデスの声を見た』 がフジテレビ局内で,下欄のNHKアーカイブの
ように保存されているならば(※),ぜひ再放送してほしいと願う。

尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/

※ フジテレビの放映から,ちょうど20年経った,1996年にはNHK教育テレビ
  で 『わが思いはアンデスの峰に』 という番組が放送された。
  赤道直下エクアドルから,短波で日本語番組 『アンデスの声』 を送り続ける
  尾崎さん夫妻の姿を紹介するとともに,リスナーとの心の交流を描いたもの
  である。
  http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2007/h070624.html

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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5月26日(日)に行われた,HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会で,
日本短波クラブ (JSWC-Japan Short Wave Club) 理事の大武逞伯さんは,祝辞の中
で次のようなエピソードを紹介した。

  宇宙飛行士の毛利衛さんは2000年8月,民放テレビの番組を制作取材ため
  エクアドルを訪問し,取材活動が一段落したところで,HCJBの尾崎一夫さん
  ご夫妻を訪問し,インタビュー番組 『赤道で会いましょう』 に出演した。
  尾崎さんは,この時,毛利さんと記念写真を撮ることを失念してしまい,残念に
  思っていることを,大武さんに打ち明けた。
  大武さんは,このことを手紙に書いて毛利さんに送ったところ,毛利さんは尾崎
  ご夫妻に会ったことを鮮明に覚えていて,『放送開始50周年』 を祝すとともに,
  尾崎さんご夫妻と毛利さんが写っている写真とエクアドル取材を記録した単行本
  『エク! 赤道におりた宇宙飛行士 毛利衛と仲間たち』 (2001年,講談社刊)
  にサインしたものを尾崎さんに贈りたいとして,大武さんに託した。

尾崎さんは,写真と本を大武さんから手渡されると,満面の笑みを浮かべて,感謝
の言葉を述べ,写真と本を抱きしめ,そして,テーブルに置いた。
着席した尾崎さんの視線を追った。
その向こうに,遥かアンデスの峰々を見ているように想われた。
赤道直下,久子夫人と二人三脚で番組作りに汗した日々を想い出しているように見えた。

尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/

( 当ブログ過去関連記事 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/18755334.html
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/19130435.html
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20908310.html

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会は,5月26日午後2時半から
東京新宿の淀橋教会で開催され,多数のリスナーと教会関係者が参加した。
同放送の尾崎一夫さんが 『HCJBの歴史・日本語放送半世紀の歩み』 を語り,淀橋
教会の峯野龍弘・主管牧師がビデオメッセージを通じて,尾崎夫妻の偉業を称えた。
集会では,お祈り,記念演奏,アトラクションに続き,日本短波クラブ (JSWC) 理事
の大武逞伯さんがリスナーを代表して祝辞を述べたほか,全国のリスナーから寄せ
られた祝賀メッセージが紹介された。
当ブログでは,今後数回に分けて,記念集会の模様をリポートする予定である。

なお,尾崎一夫さんは,これを皮切りに,7月上旬に米国アリゾナに戻るまでの間,
日本各地を訪ねてリスナーや教会関係者と交歓することとなっている。
http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf

HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/

※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
  http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l

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