沖縄の海は美しすぎる。
これまでも,沖縄県には何回か旅行したが,何れも那覇市とその周辺に
限られていたため,沖縄の海をじっくりと眺めることはなかった。

3月下旬,沖縄本島の最北端に位置する国頭 (くにがみ) 村に滞在し,
どこまでも続く白い砂浜で,コバルトブルーの海から寄せて来るさざ波の
音を聞く ―― 身も心も洗われる想いで,数日間を過ごした。

夜,展望風呂から上がり,涼んでいたところ,話し掛けてきた一人の地元
住民が,興味深い話を聞かせてくれた。
滞在しているホテルの敷地には,米 Voice of America (VOA) の送信所
があったと言う。1945年の敗戦に伴ない,この土地は米軍に接収されて,
アンテナが建てられ,沖縄が日本に復帰した後も,なお存在し続けたのだ。

沖縄県にVOAの送信所があったことは知識としては持っていたし,1960
年代には,当ブログ子自身も,沖縄中継のVOA日本語放送を良く聴いて
いたが,今,自分が宿泊しているホテルの敷地に,その送信所とアンテナ
があったことを知り,本当に驚いた。

翌日,ホテルの近くにある,国頭村観光物産センターを訪ねてみると,村の
歴史を紹介する写真展が開かれており,展示作品の中にVOAの送信所の
写真もあった。その写真のコピーを譲ってもらいたいと思ったが,担当者が
不在で,願いは叶わなかった。

滞在最後の日,当時の様子を知りたいと思い,ホテルの貸自転車に乗って,
国頭村役場を訪ねてみた。窓口で事情を話してお願いすると,いろいろな
部署を紹介してくれた。
それぞれの職員は丁寧に対応してくれたが,『短波を聴く』 というマイナーな
趣味の世界のことであり,『VOA送信所』 という,敗戦後,米国の施政権下
にあった時代の話題であるからだろうか,仲々スムーズに情報を収集する
ことが出来ない。

付設の図書室で 『村史』 を見せてもらうと,数ページにわたってVOA送信所
についての記述があった。淡々と綴られてはいるが,アメリカの施政権時代
における,村の人々の怒りと無念の想いを,行間から読み取ることができる。

以下に,『国頭村史』 から,VOAに関する興味深い部分を,幾つか抜粋して
紹介する。

  軍用地問題に国頭村が無縁なはずはなかった。(接収された土地の中に)
  1951年10月1日に建設に着手した奥間のVOA (アメリカの声) 敷地が
  ある。

  沖縄におけるVOAは1953年7月から放送が開始され,中波1波,短波
  9波による中国語・朝鮮語・ロシア語・英語の4ヵ国語で放送している。

  本部は嘉手納基地内,受信所は恩納村恩納にあって,国頭村奥間のは
  発信所になっている。3ヵ所総面積は約100万平方メートル,局員は約
  130人 (うち日本人約120人) である。

  中波の周波数は1178サイクル,出力1000キロワットで到達範囲は
  北ベトナムの一部,中国大陸の大部分,朝鮮半島全域並びに沿海州に
  及ぶが,主として北京・平壌方面へ指向性を付与している。放送時間は,
  午後8時から午前2時までで,中国語と朝鮮語を使用している。

  また,短波は出力15キロ・35キロ・100キロワットの3種類9波で,使用
  周波数は3,6,9,11,15,17メガサイクル帯となり,放送時間は午前
  6時30分から同10時までと,午後5時から午前2時までで,中国語・
  朝鮮語・ロシア語・英語を使用している。

  このように,この施設は対共産圏への謀略的目的をもつもので,国頭村
  民たちには,その機能を知らされないままに建設され,沖縄返還後にも
  重要な問題を残す施設となった。( 参照 : 下記の注 )

  共産主義の脅威に対処するアメリカ軍は,沖縄に数々の特殊的な施設や
  部隊を有していたことが次第に明らかになっていった。VOAや毒ガスの
  施設,陸軍情報学校や第7心理作戦部隊の配置などがそれで,しかも
  その機能は住民には全く秘密にされていた。

  国頭村奥間VOAの施設については,配線なしに電灯がつき,あるいは
  ラジオが聞こえるという事実があっても,それが中共や北朝鮮への謀略
  的放送の基地であるとは,村民の誰もが知らなかった。

  (注) 1971年6月17日に調印された 『琉球諸島及び大東諸島に関する
      日本国とアメリカ合衆国との間の協定』 (沖縄返還協定) では,VOA
      に関し 『日本国政府は,アメリカ合衆国政府が,両政府の間に締結
      される取極に従い,この協定の効力発生の日から5年の期間にわた
      り沖縄島におけるVOA中継国の運営を継続することに同意する。
      両政府はこの協定の効力発生の日から2年後に,沖縄における
      VOAの将来の運営について協議する』 (第8条) とあり,ほかに
      『VOA中継局の運営の継続に関する交換公文』 がある。


この 『国頭村史』 は,沖縄が日本に復帰した1972年に刊行されたが,それ
から40年近く経た今,その間に明るみになった文書や関係史料の発掘などを
踏まえ,近々 『村史』 の見直し作業が開始される予定だと聞く。

われわれBCLが,ラジオの短波放送に耳を傾けていた,その向こうで,沖縄の
人々が大きな苦痛に耐え,計り知れない苦悩の日々を送っていたことに想いを
致し,国際短波放送というものが存在する意味を,改めて問い直す旅となった。

(注) 『沖縄ラジオ紀行(2) NHK中波が聞こえない !?』 は,次のサイトを
   ご覧ください
   http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/25210687.html