1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起から70年を迎えた2013年、この博物館は
建設された。外観は近代的なデザインで、フィンランドの建築家ライナー・マフラマキ
が設計したという。
館内は8つのギャラリーに分かれており、中世から現代までの約1000年間をテーマ
にした展示をしている。ユダヤ人街やユダヤ教のシナゴーグを再現した展示もあり、彼ら
の風俗・文化をはじめ、ナチスによる迫害や戦後の共産党政権下での抑圧の歴史など、
ポーランド系ユダヤ人の歴史を観ることができる。
大人の見学者に交じって、中高生あるいは大学生と思われる、若い人たちが団体で見学に
訪れていたのが印象に残っている。
博物館前の広場には、「ゲットーの英雄たちの像」が建っていて、これから博物館を見学
しようとする人や、見学を終えた人たちが訪れていた。
ガイドブックには、次のように解説されている。
ゲットーとは、都市内の一角に設けられたユダヤ人を強制的に収容するための居住区域
のことである。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人を隔離するため各地に
ゲットーを設置した。
その中で最も規模が大きいとされるのがワルシャワ・ゲットーだ。
ゲントーの広さはワルシャワ市全体の24%の面積にあたり、40万人以上ものユダヤ人
が収容されていた。ゲントーはナチス・ドイッの管理下におかれ、劣悪な生活環境と飢えに
より8万人以上のユダヤ人がゲントー内で亡くなったといわれている。
そして、1942年、ナチスはラインハルト作戦を実施する。これはゲットーを解体し、
そこで暮らしていたユダヤ人を強制収容所に移送し殺害するというホ口コーストの一環で
あった。
わずか2ヵ月足らずの間で、30万人ものユダヤ人が北東約90kmに位置するトレブリンカ
の強制収容所に運ばれた。残ったユダヤ人は、さらなる移送を阻止するため、戦闘組織を発足。
1943年4月19日、ナチス・ドイツに対する武装蜂起を行い、決死の抵抗を続けたものの、
5月16日に完全に鎮圧される。投降を呼びかけられた戦闘要員のほとんどは自決し、生き
残ったユダヤ人も収容所へ送られた後、ゲットーの建物は跡形もなく破壊された。
(「ポーランド旅行記」一覧)
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