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アウシュヴィッツ強制収容所の入口となっていたゲートには、「ARBEIT MACHT FREI」
(働けば自由になる)という文字が組み込まれている。この鉄骨製のゲートは連行されて
きた人々に造らせたものである。「ARBEIT」の「B」の文字は、上の方が大きく膨らんで
いて上下が逆さまになっている。これは、造らされた人々の、せめてもの抵抗の証なの
ではないかと考えられている。
ヨーロッパ各地から強制連行された100万人を超える人々は、どのような想いで、この
門をくぐったのであろうか。

このゲートを入ると、連行されてきた人々はドイツ軍の医師によって選別され、働ける人は
「強制収容所」に送られて徹底的に働かされ、働けないと判断された人は「絶滅収容所」に
送られて、大半は直ぐに殺されてしまった。

ドイツ軍は、収容所内の監視役に、連行された囚人の中から指名して当たらせて、監視役と
しての慣れ具合を競わせた。そして、収容された人々を、監視する者と監視される者とに分断
して行った。

更に、ロマ人(ジプシー)、ロシア人、同性愛者、エホバの証人、政治犯、刑事犯罪人、
ユダヤ人などに、黒、ピンク、紫、赤、緑、黄などに色分けした布製のバッヂを付けさせ、
互いの偏見を利用して、互いに差別させることによって、囚人同士が団結しないように、
あるいは連帯しないように、互いを競わせた。

また、監視役の囚人は、配給される限られた食料をピンハネして食べることがあり、監視
される側の人々は痩せ細る一方だったのに対し、監視役の彼らはブクブクと太っていた。
反抗した人には拷問を掛け、カビの生えたパンを食べさせたという。

このような管理・監視システムを採用したことにより、連行されてきた人々に対して、ドイツ
軍が直接に手を下すことはなかった。それゆえに、ドイツ軍兵士は罪の意識が薄かったのでは
ないかとみられているという。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l