同神父はポーランド生まれ、1930年から6年間ほど長崎で宣教に当たった。
ナチスは、コルベ神父の説くカトリックの教えとナチスの思想は相反するとして、
同神父をアウシュビッツ強制収容所に送った。囚人番号は「16670」であった。
脱走者の連帯責任として、10人が処刑されることになったが、その中に妻子を
想い泣き崩れた男がいた。すると、コルベ神父が進み出て、「私はカトリックの神父
です。もう若くもなく、妻も子供もいませんから、あの方の身代わりになりたいと
思います」と言って、彼の身代わりになることを申し出た。
そして、犠牲となった。
その時の様子は、次のサイトで詳細に解説されている。
http://kolbe-museum.com/?mode=f2
国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf
(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l