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中谷剛さんは、アウシュヴィッツ博物館で、日本人としてはただ一人、博物館公式ガイド
として20年以上にわたって、この仕事に携わってきた人である。
ここ1~2年の間に、TBSラジオの番組の中で紹介された、中谷さんのガイド音声の中で、
次のような趣旨のことを話していたのが、特に印象に残る。

◆強制収容所は、アウシュヴィッツが最初ではなく、唯一のものでもなかった。
戦争が始まる前、1933年、最初はミュンヘン近郊にあった。
この時、ヒットラーという政治家が大統領の指名を受けて首相になった。
当時のドイツには「ワイマール憲法」という民主的な憲法があり、選挙制度があって、
当時も、国民が政治家を選んだ。
結果として、与党第一党の代表であるヒットラーが首相となったことで、「ドイツ政府
に反対する人こそ、社会のルールを、民意を破っている」というような言い方をして、
ドイツの社会主義思想、共産主義思想を持っている人を中心に収容するのが、収容所の
最初の役割だった。ユダヤ人を収容することは、最初の目的ではなかった。
われわれにとってアウシュヴィッツは何かといえば、われわれ国民が政治家を選んで
いるわけで、民主主義によって選ばれた政治家が強制収容所を作ったという点で、
一つのテーマが出来上がる。

◆民主的な社会と言うのは、案外、こういうことが起こり得るもので、所謂「真実」を
いう、学者として、真実をちゃんと述べられる人の言うことを、都合の悪いこととして、
社会が耳をふさいで聴かなくなってしまう、自分の持っているものを褒められて、根拠の
ないことに傾倒していく。
根拠のないことが、国民の選んだ政治家によって法律ができると、髪の毛の色とか目の色
とかによって、優秀さが測られることが進んで行く、これが民主主義の弱さなのです

◆ユダヤ人虐殺に至ったきっかけは何だったのか。
ユダヤ人から奪ったものは「数字」に変わっていく。もちろん、銀行預金も、おカネの単位も、
服でさえも、コート何万着、背広何万着、下着とパジャマが何万着・・・、と。
ユダヤ人から奪ったものを「数字」にし、その数字を報告書にして書いていたSSの隊員たち
が、戦争が終わった後、私たちは「報告しろ」と言われたから、命令に従って報告書を書いた
のだと、署名した人たちは弁解する。

命令した人は政策に基づいて、政策は勿論法律によって策定される。法律を作ったのは一部の
国民が選んだ政治家であると・・・。
こうなると、生真面目に、謂われたことをやれやれと・・・。
こうなると、どこに責任があるのか、見えなくなる。

だから、今まで、皆さんを案内した中に、ヒットラーの写真が一枚もない。
それは、ヒットラーが一人で始めたことではないからです。
では、誰がそれを始めたのかと言うことになる。

それは、一番最初に出てきた現象は、街角にでてくる。
つまり、「ユダヤ人は出ていけ」というヘイトスピーチだったのです。
それが、5年、10年、15年をかけて、ホロコーストに繋がってしまった。

私たちが、今、ヘイトスピーチが街角にあるとすれば、われわれとホロコーストの間の
どの辺に立っているのかと言うことを知るための、何か物差しが必要である。
それは、やはり、歴史を知ることであるというのが、ヨーロッパの人々の考えになって
くる。平たく言えば「人権」ということです。

TBSラジオで放送された、アウシュヴィッツ強制収容所に関する番組のアーカイブは、
当分の間、次のサイトで聴くことができる。何れの番組にも、中谷剛さんが出演している。
◆「耳で聴くアウシュヴィッツ強制収容所・見学ツアー」( 2017-10-20 放送 )
  https://www.tbsradio.jp/190855

◆「ホロコーストを日本人が語り伝える意味とは?」( 2018-01-31 放送 )
  https://www.tbsradio.jp/220789

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l