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映画「シンドラーのリスト」の舞台となった、シンドラーの工場を見学した。
第二次世界大戦で、ドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が
東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーは、1000
人以上のポーランド系ユダヤ人を、自らが経営する軍需工場に必要な生産力だと
いう名目で働かせ、彼らが絶滅収容所に送られるのを阻止した。
その工場跡は、現在は博物館となっていて、常設展では、彼の足跡を紹介している
他、当時の人々の暮らしぶりなども再現されている。
常設展 "KRAKOW UNDER NAZI OCCUPATION 1939-1945" の特設サイトは次のとおり。
https://www.muzeumkrakowa.pl/exhibitions/krakow-under-nazi-occupation-1939-1945

1943年、ソ連の反撃が始まりポーランドに迫ると、ナチスはポーランドの強制
収容所を解体する方針を固め、ユダヤ人は絶滅収容所に送られて殺害されることに
なった。これを阻止するため、シンドラーはリストアップした約1200人の従業員
とともに、工場を自分の故郷であるチェコのブリンリッツに移転させた。

館内の展示物で、最も印象に残っているのは、一枚の写真であるが、ポーランドの
とある収容所で捕虜のユダヤ人が処刑されるのをドイツ兵が笑いながら眺めている
写真で、余りにも惨く、ブログで紹介するのは差し控える。
シンドラーのオフィスにあるデスクも印象に残る。彼は、ヨーロッパ全域の地図を
背にして、この机に向かい、リストを作り上げたのであろう。

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l