(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

2009年02月

2009年3月の主な動きや歴史などを見ると,次のようなものがある。
これらの関係国から送られてくるニュースや解説番組,特別番組など
に注目したい。

なお,3月29日から月末にかけて,周波数を変更する放送局がある。
周波数を変更する放送局は,事前に番組の中でアナウンスしたり,
ホームページで発表するので,注意することが必要だ。

3月 3日(火) (日本)民放ラジオの日
3月 5日(木) 中国全国人民代表大会開幕
          ワールド・ベースボール・クラッシック開幕
3月 8日(日) 国際女性デー
3月10日(火) ダライ・ラマのインド亡命から50年
3月15日(日) エルサルバドル大統領選挙
3月19日(木) EU首脳会議
3月20日(金) イラク戦争開戦から6年
3月22日(日) (日本)放送記念日
3月28日(土) スリーマイル島原発事故から30年

BBCは2月26日,BBC World Service の新局長にピーター・ホロックス氏を
任命したと発表した。
米VOA放送のキム・エリオット氏のウェブサイトが,BBCの報道資料を引用
して伝えた。
http://kimelli.nfshost.com/index.php?id=5978

オランダ放送の "Nedia Network" のウェブログも,このニュースを伝えている。
http://blogs.rnw.nl/medianetwork/peter-horrocks-appointed-new-bbc-world-service-director

ホロックス氏は,これまで報道番組の編集やドキュメンタリー番組の制作に
当たり,英国のアカデミー賞と言われる,BAFTA賞を受賞したことがあると
いう。

NHK-FMは3月1日,放送開始40周年を迎える。

特設サイトでは 『40 YEARS ヒストリー』,『特集番組
ラインナップ』,『ミュージシャンからのお祝いメッセージ』
を初め,様々な話題を提供している。

特設サイトは,NHKウェブサイトのトップページにある
一番上のバーの 『FM』 から入る。
http://www.nhk.or.jp/

KBS日本語放送は2月26日,同局のウェブサイトを通じて,
3月29日(日)の周波数変更に先立ち,次のとおり試験放送
を行なうと発表した。
リスナーは受信報告を送ってほしいと,協力を求めている。
http://world.kbs.co.kr/japanese/program/program_notice_detail.htm?No=10252
 
周波数 : 短波6.155MHz
試験放送日 : 3月6日(金)から8日(日)までの3日間 
放送時間 : 17:00-18:00

イメージ 1

これは,1966年5月に発行された "RADIO JAPAN NEWS" である。
当時としては珍しい,A4判の大きさで,航空便用に薄めの上質紙を使って
いる。

主な内容は,次のとおりとなっている。
  P.1 Who Produces Radio Japan's Information Programs ? (上記:左)
  P.2 Listen to our Program "Touruists' Guide"
  P.3 The Album of Japan "Tokonoma" or an alcove
  P.4 WHAT IS THE "SINPO" CODE ?
  P.5 Thank you for Your Letters
  P.6 Le Guide des Industries Japonaise ( For French )
  P.7 Radio Japan und Ich ( For German )
  P.8 I Listen to Radio Japan (上記:右)

P.8(右写真)に載っている,外国人リスナーの受信機の写真を見て,早く
自分もこんなラジオを持ちたいものだと羨ましく思い,また,壁に飾られた
ベリカードを見て,こんな珍しいカードを送ってくれるのは,どこの国の放送
局だろうと,好奇心が湧いてきたのを想い出す。

( 『懐かしの資料』 当ブログの過去記事は,次のとおり )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/184854.html?m=l

KBS日本語放送は,2月26日に放送した 『玄海灘に立つ虹』 の中で,
韓国は間もなく入学シーズンになるが,入学すれば,一年生の時から
就職活動が始まり,特に,外国語をマスターして有利に運ぼうとする
傾向が見られるという話題を紹介した。

ちょうどこの日,インターネット新聞 『Jan Jan ニュース』 は,『プサン
外国語大学校には,全世界の約50ヵ国の放送を受信して,校内全体
に放送する校内放送局も設置されている』 などと伝えている。

なお,『50ヵ国の放送』 の中に,海外からのラジオ放送が含まれている
のかどうかについて,この記事は触れていない。
http://www.news.janjan.jp/world/0902/0902248213/1.php

HCJB日本語放送は2月7日,米国テキサス州在住の浅野さんご夫妻への
インタビュー番組を放送した。

浅野さんは南米ボリビアで生れ育った,所謂 『二世』 で,現在は,日本人を
対象とする引越し業に携わっている。奥様は宮崎県の生まれで,渡米して
通訳などをしていた時,教会関係者の紹介で,浅野さんと結ばれた。

今から50年前,浅野さんの祖父は家族全員を連れてボリビアに移住して,
農業を営んでいたが,浅野さんは成人すると,進学のため米国に移った。

この日放送された番組の中から,『アンデスの声』について語られている
部分を抜粋して,再録する。(敬称略)

『アンデスの声』は,1964年5月から2000年12月まで,南米エクアドル
の首都,キトから放送されていた。
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( 浅 野 )
私が子供の頃,親は,NHKの放送を聴きたいという思いがかなり強かった
のですが,ボリビアではNHKのラジオ放送は,朝の4時から5時と言う
時間帯で,しかも,短波であるため仲々聴こえないというので,相当辛い
想いをしていたと思います。

ところが,『アンデスの声』で,尾崎先生の声が入るようになって,ボリビアの
移住者の大方にとって,おそらく全員だと思いますけれども,『アンデスの声』
は馴染みがありまして,日本のニュースは,尾崎先生が放送されたものを,
全部聴かせていただいたと思います。

( 尾 崎 )
私は番組の始まりに,『きょうは,掛替えのないお客様をお迎えした』 と申し
上げたのは,このことでございます。
今,『アンデスの声』のお話が出てまいりましたけれども,私は,本当に涙が
出るくらい,嬉しいんです。

( 浅 野 )
私も,尾崎先生にお会いできるということで,本当に血が騒いでおります。

( 尾 崎 )
南米各地のリスナーのことについては,耳では聞くし,手紙でも読んで,その
事情が分かっていたんですけれども,皆さんが, それほど熱心に聞いて
くださった,ここに,その方がおられる,そして,直接お話を聞くことが出来る
と言うのは本当に嬉しいことです。

『アンデスの声』の放送局がある,エクアドルのキトと言うところは,海抜
3000メートルと,高いところなんですよ。

南米各地からは,『NHKのニュースを聴きたいけれども,NHKの放送が聴こ
えない』と言うお便りが来る。
『それじゃ,私たちが代わって,NHKのニュースを伝えましょう』と言うことに
なった。

今,仰った,朝4時のNHKの放送は,キトでは良く聴こえるんですよ。高い
ところにありますから。
それを,毎日,カセットテープに録音する。朝4時に起きられない時にはね,
ボタンを押して録音をセットして,また,寝て,後から聴くんです。

日本とは14時間の時差がありますから,録音したNHKのニュースを,昼間
のうちに書き写して,主な項目を,夕方の私たちの放送する時間帯に,南米
に向けて放送する。

エクアドルは夕方の5時,ボリビアは夜の7時だから,『夜7時のニュース』と
言うことになります。

私たち,一年間,NHKで研修を受けていました時に,『NHKのニュースを使わ
せてください』とお願いして,『良い』と言う許可をいただいて,実現したわけです。
NHKの放送を,エクアドルで中継するわけに行かない,音質が悪いですからね。

私は,NHKのニュースをノートに書き起こして,読んでいましたが,大変だった
のは,大相撲が始まると,中入り後の,主な取り組みの勝敗を言わなければ
ならないことでした。

南米各地のリスナーは,皆さん,ちゃんと,白星,黒星をつけて,星取表を作って
いるわけですから,一日も休めないわけですよ。

( 浅野夫人 )
そうだったんですかぁ。

( 尾 崎 )
しかし,相撲の関取の名前が,良く分からない時がある。
そんな時は,耳で聞いたとおりの名前をカタカナで書いて,放送したことを
覚えていますね。

『野球もやってくれ』と言う要望もありましたが,『野球はすみませんけれど,
勘弁してください』と。(笑)

( 浅 野 )
それから,私が記憶にありますのは,音楽のリクエストです。
皆さん,音楽のリクエストを出される。僕も何回も出させていただきまして,
3回ほど,リクエストの音楽を掛けていただいた記憶がございます。
大方,日本の童謡だったと思います。

( 尾 崎 )
うん。うん。

( 浅 野 )
子供の頃から,童謡だけは,聴かされておりましたので,それをリクエスト
したり,母の日には,母のために曲をクエストしたと言う記憶もあります。
曲名は,ちょっと,忘れてしまいましたけれども・・・。

( 尾 崎 )
サトーハチローさんの,『母の詩集』と言うのがあるんですよ。

( 浅野夫人 )
あぁ,はい,ありますね。

( 尾 崎 )
それが,歌になっていて,レコードが出ている。
それを,日本から持ってきたんですよ。とても良い詩集でね。
それをかけたら,案の定,やっぱり,同じ気持ちになる方がおられて,
リクエストが良く来ましたね。

誕生日にはね,ピンキーとキラーが歌った,そのレコードの裏にね,
『誕生日は良いもんだ』と言うのがあったんですよ。
これを誕生日にかけたら,皆さん,喜んで,リクエストが,よく来ましたね。

( 浅野夫人 )
懐かしいですね。

( 尾 崎 )
それからね,『森の水車』の,『カタ・カタ・コットン,カタ・カタ・コットン』。
これが, また,明るい。
皆さん,地方から来ておられますから,自分の,わが家のところに,水車
がある方もおられるから,懐かしく思われた方もおられたようです。

( 浅 野 )
聴きました。聴きました。(笑)

( 尾 崎 )
聴かれましたかぁ。(笑)

( 浅 野 )
昔の記憶が蘇ってきて,すみません。

( 尾 崎 )
そうですかぁ。

( 浅 野 )
あと,そうですね。母親なんかは,よく,あの,山田耕筰ですか,聞かせて
いただきました。

私も,そうなんですけれども,尾崎先生の上手な朗読ですね。僕は,
かなり,聞かせていただきました。
涙を流しながら,やっぱり,悲しいお話とかですね,よく聴いておりました。

( 尾 崎 )
『ラジオ図書館』と言う番組ですね。
金曜日に,30分,皆さん,ドラマ的なもの,ストーリーをお聞きになりた
いんですよね。

それで,家内と私が,本によっては,家内が読んだり,私が読んだり
していました。

三浦綾子さんの本は,とても良いものです。実話を使っていらっしゃる。
これを家内が読むんですが,
『塩狩峠』なんて,主人公がね,峠で逆送する列車を止めようとして,線路
の露と消えるわけでしょ,そして,彼を慕っていた彼女が,その線路の傍で
泣く・・・と,
家内が,それを下読みしているうちに,泣いちゃうわけね。

本番で泣いたら,いけない。ラジオだから,声が出なければいけない。
テレビならねぇ,泣いているところは,感激の場面なんですけれど,ラジオ
ですから,そういうわけに行かない。
だから,家内は読む前に,ちゃんと泣きはらして,それから,読むと言う。

家内は,小さい時から近所のおばさんに頼まれて,本をよく読んでいた
そうです。 だから,本を読むのが好きでね。

日本に帰ると,三浦さんのところにおじゃまして,『熱心に聴いておられる
リスナーがおられるんです。三浦さんの本を使わせていただいています』と
言う。

三浦さんはテーブルの下にね,お茶を入れる道具など,いろいろなものを
置いてある。

私たちが来ると分かっているから,その下に,ご自分の新しい本を置いて
おられて,それを,すうっと出されてね,サインして,どうぞ,お使いください
とプレゼントしてくださった。

そういう,心のこもった本を,エクアドルに持ってきて,また,心のこもった
人が読んでいるから,聴く人も,感激するわけね。

( 浅野夫人 )
全部,心が,電波を通して,伝わっていくんですよね。

( 尾 崎 )
そう,思います。

( 浅 野 )
おかげ様で,こちらは,泣いていても,見えないから,母と一緒に,涙をボロ
ボロ流しながら,よく聞かせていただきました。

( 尾 崎 )
いやぁ,そのお話を,家内に聞かせたかったね。そうだったんですかぁ。

( 浅野夫人 )
そうでしょうね。

( 浅 野 )
友達が皆んな,『アンデスの声』を聞いていたので,誰がリクエストを出したのか
と言うことが,スゴイ,興味がありましてね。

よく,『ボリビア,サンファン移住地の誰々様からリクエストをいただいております』と
アナウンスされると,『あいつは,知っている。俺も,同じだ』と。

逆に,僕の方が読まれた時は,友達が,『あぁ,聴いていたよ~っ』と。
そう言う,何か,楽しみがございましたですね。

( 尾 崎 )
放送する者と,聴く者だけではなくて,聴く人たち同士の,ヨコの繋がりができる。

( 浅野夫人 )
なるほど。

( 尾 崎 )
これは,やっぱり,特に南米の移住地の方たちにとっては,非常に遠いところに,
バラバラになっていらっしゃる人たちのね,繋がりが出来ると言うんで,とっても良い
働きが出来ました。

エクアドルなんて,あんな遠いところから,放送することができた。
その短波と言う放送の,その仕組みと言うのは,本当に,私は,素晴らしいものだ
と思います。

それから,放送を聴きながら,『あっ,同じ船で来た人だ』とか,『まだ,あそこに,
いるんだ。元気で,やっているんだぁ』ってね。お互い,又ね,出会うことが出来れ
ば,良いと思う。

( 浅野夫人 )
なるほど。

( 浅 野 )
ボリビアで上手くいかなくて,アルゼンチンに移住したと言う方が,かなりいらっしゃい
まして,友達同士ですから,その息子さんとか,娘さんとかを,良く知っているわけです。

『アンデスの声』を聴いていますと,アルゼンチンの誰々さんからリクエストが来ています
と放送される。そうしますと,『あっ,あの人,元気でやっているんだなぁ』と言うことが,
『アンデスの声』を通じて,分かる。

『アンデスの声』を通じて,様々なことが伝わってきていたと言うのは,すごく有難いこと
でした。                                            
                                                 (了)
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(注)この記事は,HCJB日本語放送の尾崎一夫さんのご了承を得て,掲載しています。

   現在のHCJB日本語放送のスケジュールは,次の記事を参照願います。
   http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/13742343.html

   HCJBの現在に至る経緯等については,次の記事をご覧願います。
   http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/357432.html

中国国際放送の日本語ウェブサイトは,このほど 『中日共同歴史研究のいま(上)』 を
アップした。
http://japanese.cri.cn/1041/2009/02/25/1s135881.htm

中国側主席委員である,歩平・中国社会科学院近代史研究所所長へのインタビューが
紹介されている。
この中で,同氏は 『国民の感情的な声に影響されず,学術の視点から,冷静に,客観
的に議論できる環境を整えるよう心がけてきました』 などと語っている。

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同ウェブサイトには,『つばめのス-Vol.8 中国のお笑い革命?』 もアップされた。 
http://japanese.cri.cn/1041/2009/02/24/1s135812.htm

この番組では,王小燕アナウンサーを中心にして,日本語部の女性アナウンサーたち
のおしゃべりを通して,中国の伝統文化から最新ファッションなどに至るまで,幅広い
話題を提供している。

今回は,『中国の正月・春節,今年,一夜にして中国の全土を笑いの渦に巻き込んだ,
スーパースターが誕生しました』 と言うオープニングアナウンスで始まる。

なお,王小燕アナウンサーのブログ 『つばめの北京スケッチ~★中国的日常★』 でも
関連情報を読むことが出来る。
http://d.hatena.ne.jp/tubameyanzi/200902

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これらの番組のハイライト部分は,近日中に,ラジオ番組でも放送されるものと思われる。
中国国際放送のトップページは,次のとおり。
http://japanese.cri.cn/

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ロシアの声・ハバロフスク局から,ベリカードが届いた。
デザインは,『アムール河クルージング』 シリーズのうちの一枚で,
民族文化の史蹟の写真である。

いつものことながら,封筒には綺麗な切手が数枚貼付されている
が,その中にあって,キューバ革命50周年の記念切手が目を引く。
キューバ国旗とチェ・ゲバラの肖像が配されている。

また,今年の年賀状と岡田アナウンサーからの挨拶状が同封され
ている。

この郵便物は,『宛先不明』 で放送局に差し戻されたと言うことで,
改めて送り直した旨を,岡田さんが電子メールで知らせてくださった。
岡田さんのお心遣いに感謝したい。

実は,当ブログ子が受信報告に同封した 『返信用宛名カード』 が,
粘力不足で剥がれたものと思われる。
他局からの返信でも,宛名カードが,今にも剥がれ落ちそうな状態
で届くことが,時々ある。

( 2009-02-25 更新 )
『モンゴルの声』 日本語放送は2月24日,番組の冒頭で 『ウランバートルの
天気は晴れ,明け方の最低気温は-26度,日中の最高気温は-17度で
した。きょうは,お正月と大晦日の特集番組をお送りします』 とアナウンスし,
通常のニュースは放送しなかった。
特集番組は,次のようにアナウンスで始まった。

  きょうは2月24日,大晦日です。
  また,お正月は,旧暦の新年を迎える日で,厳しい冬を無事に越え,雪が解け
  始める,春の季節を迎えることをお祝いする日です。

  しかし,今日の天気の状況では,春とは言っても,モンゴルでは未だ,大地
  は雪に覆われ,広く凍っており,寒さが続いているのが現状です。

  それでも,『ツァガーンサル』,つまり,お正月が来れば,モンゴル国では寒さ
  が弱くなり,家畜が出産するのに一番適する季節になると言われています。

  3月から5月には,羊,山羊,牛,馬,ラクダなどが出産します。
  そして,家畜から乳が多く出て,乳製品が豊かになると言う意味で,モンゴル
  人は,お正月のことを 『ツァガーンサル』,つまり,『白い月』 と名付けています。

  『ツァガーンサル』 を,モンゴル人は盛大に祝いますが,元旦の前の日,大晦
  日も祝う習慣があります。

  モンゴル語では,大晦日のことを 『ビトゥー』 と言います。
  モンゴル語で,『ビトゥー』 と言う意味は,『閉じられた』 『ピッタリ閉められた』 と
  言う意味に当たります。こう言った意味で,『ビトゥー』 は,一番最後の日,過ぎ
  た一年を閉じる日,となります。

  大晦日,『ビトゥー』 の日は,モンゴル国民は,朝早く起きて,家や畜舎をきれ
  いに大掃除して,一年間の積もった埃などを掃除します。

この他,モンゴルの大晦日の風習として,喧嘩をした人は仲直りする,金を借りた
人は借金を返す,家族揃って着飾ってご馳走を食べる,などがあることを紹介した。

番組の合間には,お祝いに相応しい,モンゴル民謡や長唄も流れた。
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( 当ブログ子 : 注 )
アジア諸国における,今年の旧正月は1月26日だったが,モンゴルの暦
では2月25日のようだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/8760988.html

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