(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

2009年08月

KBS日本語放送は,8月29日放送の 『おしゃべりラジオ』 の中で,同番組の
メインキャスターを務めるキム ・ ジヨン(金志硏,愛称 : スミレ) さんが来週の
番組 (9月5日放送分) から復帰する予定であるとアナウンスした。

スミレさんは出産休暇のため,ここ数週間にわたり同番組から離れていた。

韓国KBS日本語放送は,毎週土曜日に50分間のトークショー 『おしゃべりラジオ』
を放送している。
元気印の3人の女性キャスター,キム ・ ジヨン(金志硏,愛称 : スミレ) さん,チャ ・
ヨンア (車暎雅,愛称 : カンナ) さん,山田多香子 (愛称 : タンポポ) さんが,韓国
の様々な話題を紹介しながら,賑やかな会話を楽しんでいる。

同番組では毎月 『おしゃべりリサーチ』 を実施しており,リスナーから好評を得ている。
9月のテーマは 『食べ物の好み』 で,8月29日放送の同番組では,次のようにアナウ
ンスした。
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9月と言えば,食べ物が美味しい季節。
『食べ物』 と一言で言っても色々ありますが,今回は,皆さんの食べ物の好み,そして,
優先順位についてリサーチしちゃいます。

皆さ~ん,頭に思い浮かべてくださいね。
テーブルの上に,あなたの一番の好物と,健康には良いけれども,余り美味しくない
食べ物があります。
全て食べなければいけないとしたら,どちらを先に食べますか?

と,言うことで,選択肢は3つです。
 (1) あなたの好物
 (2) 健康には良い食べ物
 (3) 食べないわょ~っ

『その他』 の方は,『3』 を選んでから,意見があれば,是非,是非,聞かせてください。
どちらを先に食べるかという答と一緒に,皆さんの好物と健康のために食べている
ものも教えてくださいね。
回答は,メール,FAX,お手紙で,『KBSワールドラジオ日本語班』 まで,お送りください。
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ユニークな答えを送ったリスナーには,3人のキャスターの厳正な審査を経て,ユニーク
な名称の賞とともに,素敵なプレゼントが贈られる。

『モンゴルの声』 日本語放送は8月28日,9月1日に同局設立75周年を
迎えるのを記念して,特別番組を放送した。

番組は,同局日本語課スタッフのボロルトヤさんとウンダリヤさんが対談
する形で進み,番組の合い間には,ラジオ放送がスタートした当時に流さ
れていた音楽も紹介した。

受信状態が芳しくないため,聞き取れた部分のみを抜粋した。(敬称略)
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ボロルトヤ : 9月1日は,モンゴルで初めてラジオが聞こえるようになって
    から75年が経つので,きょうは,この75年を振り返って,お話したい
    と思います。スタジオには,ウンダリヤさんも,一緒にいます。

ウンダリヤ : こんにちは。
    今から75年前と言えば,私たち,生まれていない時期ですが,初めて
    ラジオ放送が流れたときには,どうだったんでしょうね。

ボロルトヤ : 一番初めに 『ラジオ』 として流れたのは1934年9月1日です
    が,その前の,1910年頃,1900年代の初めというと,モンゴル全国
    が統一を目指して戦っていた時期で,首都ではクラブに労働者が集まり,
    音楽やお知らせが流れて,人々を驚かせていたと言います。

ウンダリヤ : そうですかぁ。モンゴルが変わろうとしていた当時は,ラジオ
    が大活躍していたんですね。

ボロルトヤ : 1931年に,当時のモンゴル共和国の政府が 『モンゴルラジオ』
    という組合を設立して,初めての専門家をロシアに派遣して研究させたり,
    人民政府が勝利したことのお祝いの番組を放送していたようです。

    人々が沢山集まるところにラジオを設置して,それを聴くために,人々
    は,またまた足を運んで,ラジオを聴いていた。

    今では,ラジオは当たり前ですが,当時は,新しい光が射したような感じ
    だったでしょうね。

    でも,ラジオ局が正式に設立されて,スタジオから,番組が全国に向けて
    放送されたのは,初めての放送から21年経った,1934年9月1日です。

    当時は,『モンゴル ・ インターナショナル ・ ○○○』 といった歌で,放送が
    始まっていたそうです。
    モンゴルの独立のために,どのように戦ったかを,ラジオの番組が始まる,
    最初の歌で,お知らせしていたんですね。

ウンダリヤ : モンゴルの遊牧民にとっては,ラジオが出来たということは,通信
    情報を収集する大事な手段になりましたね。

ボロルトヤ : そうですね。遊牧民は,ラジオが聞こえたときには,ビックリしたで
    しょうね。

    ラジオを初めて聴いた日には,ショックを受けて,ラジオの後ろに,何かが
    隠れていないか,調べたそうですよ。番組が流れると,それを恐れて,厚い
    布をラジオに被せていたということを聞きました。
    今では,考えられないことですけれど。

    当時,番組の始まりで流れていた 『母国を愛する歌』 という曲をお聴きくだ
    さい。
           ≪ 『母国を愛する歌』 が流れる ≫

    皆さんもお気づきだと思いますが,『モンゴルの声』 の番組の最初の
    シグナルも,この歌のメロディです。

ウンダリヤ : そうですね。

ボロルトヤ : ラジオは,モンゴルの全土で聴くことが出来ますから,モンゴル
    の政策や新しい科学の成果,文化教育などを受けるチャンスを与えました。

ウンダリヤ : モンゴルの発展に,ラジオは大きな役割を果たしてきました。

ボロルトヤ : 現在は,ラジオには,つぎの3つのチャンネルがあります。
         (1) 1934年から放送している伝統的な局
         (2) 都会,地方を問わず,ラジオドラマなどを多く放送している局
         (3) 今年一歳を迎えた,若者向けのバラエティ番組中心の局

ウンダリヤ : 10月1日は,『モンゴルの声』 が外国語放送を始めて45周年の
    記念日です。これを記念して,10月2日(金)は,『モンゴルの声』 の歴史
    について放送します。

『ロシアの声』 日本語放送は,8月29日放送の 『お便りスパシーバ』 の中で,
約30年ぶりにBCLを再開したが,以前に比べて受信状態が芳しくないという
リスナーのお便りに応える形で,次のようにアナウンスした。

受信状態が良くないと言うお便りは,時々こちらに届くようになりました。
残念ながら,周波数や受信状態の問題は,これは 『ロシアの声』 ではなくて,
通信省の管轄です。

私たちも,何度も,通信省に問題提起しているのですが,仲々,完全に問題を
解決してもらえない状態です。

ただ,受信状態というのは,周波数によって変わります。
出来れば,中波の 720kHz を試してみてください。おそらく良い受信状態で
聴いていただけるのではないかと思います。

『ロシアの声』 日本語放送は8月29日,ハバーロフスク局制作の番組
『シベリア銀河ステーション』 の中で岡田和也アナウンサーが,次のよう
に伝えた。

10月29日に,『ロシアの声』 は開局80周年を迎えます。
そこで,ハバーロフスク支局では,皆様から 『ラジオと私』 というテーマで,
お便りを募集します。
『あなたにとってラジオとは』,『こんなラジオの魅力』,『心に残ったラジオの
想い出』 など,お聞かせいただければ幸いです。
どうぞ,よろしくお願いいたします。

中国国際放送の日本語ウェブサイトに掲載されている "Web Radio Talk Show 【つばめのス】" は,
このほど,Vol.32 をアップし,『今時の女子大生』 を特集している。
http://japanese.cri.cn/1041/2009/08/28/1s146052.htm

今回は,中国国際放送日本語部でインターン実習を終えた,北京の大学の女子大生3人をスタジオ
に迎え,メインキャスターの王小燕さんが,中国の女子大生は朝何時に起きて,夜何時に寝るのか,
彼女たちの毎月の食費や学費,寮の費用,四季折々の大学生活の思い出などを聞き出す。

なお,コメンテーターとして,本年8月から同局に勤めている,日本人スタッフの村田久夫さんが
加わっている。

なお,王小燕さんのブログでも,関連情報を読むことが出来る。
(日本語) http://d.hatena.ne.jp/tubameyanzi/200908
(中国語) http://beijingswallow.spaces.live.com/

イメージ 1

HCJB日本語放送は本年7月に,宇宙飛行士 ・ 毛利衛さんへのインタビュー番組を
再放送したが,同局はそれを記念して特別ベリカードを発行した。

デザインは,2000年8月に毛利さんが南米エクアドルのHCJBを訪問した際,尾崎
ご夫妻にプレゼントした宇宙服姿の毛利さんのポートレートに,局構内で撮った3人
の記念写真を合成したものとなっている。(左の写真)

今回の放送は,HCJBアーカイブスから厳選した番組を再放送するシリーズの一環
で,『毛利インタビュー』 のオリジナルは,2000年8月にエクアドルから放送された。

当ブログ子は,このオリジナル放送を,旅行先のニュージーランド南島,テ ・ アナウ
の街で聴き,帰国後,その受信報告書に受信中の写真を添えて,HCJBに送った。

拙い便りは,当時発行されていた同局のニュースレター 『La Voz』 に掲載され,
『毛利インタビュー』 は,当ブログ子にとって,忘れることの出来ない番組の一つと
なった。(右の写真)

なお,今回のベリカードには,尾崎一夫さんの 『日本滞在レポート』 の他,リスナー
からのお便りを紹介した 『お便りの中から』,東京 ・ 淀橋教会が制作したリーフレット
『ご存知ですか? 淀橋教会がお送りしているメディア伝道番組 HCJB日本語放送』
が同封されている。

⇒ この記事は,前稿 『懐かしの資料(66) VOA日本語放送回顧(1)』
   http://swlinformation.livedoor.blog/archives/1953458.html
  から続いています。
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≪ 音 楽 ≫
Elliott : VOA日本語放送は1970年にその幕を閉じるわけですが,ここに,第二次世界
    大戦中にサンフランシスコで放送に携わった日系の人達が,当時の想い出を語った
    録音テープがあります。私のインタビューに答えてくださった,坂上義雄さんが保存
    していたものです。
    ナカムラ ・ ススムさんが,VOA日本語放送の初期の様子を語っています。

ナカムラ : 英語の放送素材を日本語に翻訳し,テレタイプでワシントンに送るわけです。
    翻訳原稿は12~15ページくらいでしたが,ルーズベルト大統領の議会演説などは,
    少し長かったと思います。
    夜中の3時まで翻訳作業をしても,朝8時には起きるという状況が1週間続いたことが
    あります。
    そのような中で,120万人の日系人が次第に戦時収容所に移されていったのです。

≪ 音 楽 ≫
Elliott : ナカムラさんのお話のように,米西海岸に住む日系アメリカ人は収容所に強制移動
    させられたわけです。
    しかし,ナカムラさんたちは,米海軍の語学学校がコロラド州に移るのと一緒に,そちら
    に移動することになり,VOA日本語課もデンバーにある米海軍の情報担当部門の一隅
    に陣取ることになります。

    ナカムラさんは,戦時下におけるVOAの政策あるいは番組内容について,次のように
    語っています。

ナカムラ : 初期の目的は,戦争の相手側に対して,真実を語りかけるということでした。
    真実に勝るものはないということです。私たちは,事実に基づいて真実を伝えたのです。

≪ 音 楽 ≫
Elliott : ナカムラさんはここで,もう一人の同僚,ワダ ・ チヨさんを紹介します。
    彼女は,米海軍の海外放送受信部門で働いていました。
    主要な任務は,日本や諸外国からの短波放送を受信して,ニュースの背景などを,
    アメリカの海外放送用に提供することでした。

ナカムラ : 短波放送を受信しても,雑音が多く悩まされました。
    また,次から次と入ってくる難解な放送内容を,いとも簡単に翻訳していくワダさんの
    能力には,私はいつも感心していました。

≪ 音 楽 ≫
Elliott : それでは,如何にして正確に翻訳するのか ――
     『すばらしき受信者,すばらしき翻訳者』 である,ワダさんが語ります。

ワダ : 私たちの仕事は,日本からの放送を録音した素材を翻訳することです。
    早口で放送される日本語を聞き取ることは,大変難しいことでした。しかし,幸いな
    ことにニュース素材をイヤホーンで聞けば,かなり明瞭に聞こえることを知ったのです。
    サンフランシスコ時間午後3時頃,『ラジオ東京』 (注2) の放送を受信していたのを
    覚えています。
    『ラジオ東京』 で放送される特別発表やニュース解説などは,正しく翻訳されているか
    どうか,翻訳後の原稿をVOAの編集者がチェックしていました。

≪ 音 楽 ≫
Elliott : それでは,1970年に放送された最後のVOA日本語放送に戻りましょう。
    先ず,アーネスト・サトウ氏 (注3) がVOA日本語放送廃止の経緯などを説明し,
    続いて,最後のVOA日本語課長を務められた,フランク ・ 馬場さんの声がお聞き
    いただけます。

≪ 録音テープ ≫
佐藤 : 今度の放送中止は,ニクソン政権の大幅な予算削減の煽りを受けたのが,
    最大の原因です。
    
    しかし,この決定の陰には,アメリカ広報庁の東京駐在担当官が,『日本ではラジオは
    聞かれていない』 と,時代錯誤的な報告をワシントンに送ったためと言われ,又,この
    決定に当たって,ワシントンのVOA側の意見は全く無視されたという経緯があります。
    
    ワシントンのVOAでは,アメリカ時間の2月27日金曜日の午後4時から,最後の日本
    語放送が流れている,その時刻に,『日本語放送さよならパーティ』 が開かれました。

    『アメリカの宣伝放送だ』 といわれる反面,VOA日本語放送は,短波を通じて沢山の
    聴取者を持っておりました。
    そして,アメリカは今や,直接日本国民に,その主張を語りかける手段を,自ら断った
    訳です。(注4)

フランク・馬場 : こんなにお付き合いが長くなろうとは思ってなかったんです。
    しかし,今後は他の道に進みますけれども,やはり特派員の交友関係,特派員のお世話
    なんですから,結局日本のことを手助けするしか他にないわけです。そういう意味において,
    今までの一生を捧げた目的は追求できる訳でございます。(注5)

児玉 : それでは,長い間のご愛聴を感謝し,皆様のご健康とお幸せを祈りつつ,ここワシントン
    からお別れいたします。日本の皆様ご機嫌よう,さよなら。(注6)

≪ 音 楽 ≫
Elliott : VOAは,新しい日本語放送を始めることが出来るでしょうか。
    VOAでは,日本語番組を放送してほしいという意見が,日本のリスナーから沢山寄せられる
    ことを期待しています。

    日本国内の放送局は,1週間に何回かVOA制作の番組を定期的に放送することを希望する
    でしょうか。日本のリスナーは,それを望んでいると思うのですが。
    日本のラジオ放送局は,VOA制作の番組を Re-broadcast したいと考えているのかどうか,
    この点を特に知りたいと思います。

    また,どんな種類の番組に関心があるのかも知りたいと思います。ニュース番組,時事解説
    番組,音楽番組,情報メディア番組の何れでしょうか。
    どんな問題でも結構です。みなさんのご意見ご希望を当番組宛にお送りください。

≪ 音楽 - スキヤキ・ソング ≫
Elliott : どうぞ,来週のこの時間をお楽しみに。こちらは,VOA,Voice of America です。
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( 当ブログ子 : 注 )
注3 : 1070年当時,VOAに派遣されていた文化放送の佐藤知恭氏であり,『アーネスト ・ サトウ』 と
     紹介アナウンスしたのは,Elliott 氏の錯誤。
注4 : 1970年2月28日,文化放送 『今日のニュースから』 で流れた,佐藤氏のリポート
注5 : 1970年2月28日,文化放送 『今日のニュースから』 で流れた,佐藤氏のインタビューに答える
     フランク ・ 馬場 ・ 正三氏。
注6 : 1970年2月28日に放送された最後のVOA日本語放送の終了アナウンスで,児玉士誠氏が担当。

なお,VOAの放送内容は,月刊短波情報誌 『MY WAVE』 (現在は休刊) 1997年2月号に掲載された
拙稿に加筆訂正したものです。( 日本BCL連盟承認済 )

( 『懐かしの資料』 当ブログの過去記事 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/184854.html?m=l

NHK教育テレビは本年8月23日,ETV特集 『戦争とラジオ』 の第2回目と
して 『日米電波戦争~国際放送は何を伝えたのか』 を放送し,太平洋戦争
の最中,そして,ポツダム宣言受諾に至る過程で,日米の国際短波放送が
果たした実態を描いた。

この番組で紹介されている米国側の放送局は,VOA (Voice of America,
アメリカの声) である。VOAは1942年に日本語放送を開始し,一時期の
中断を経ながらも,1970年まで続けられた。

日本語放送終焉から26年経った1996年11月9日,当時VOA英語放送の
人気番組であった "Communications World" は,『VOA日本語放送回顧』 と
題する30分の特別番組を放送した。

同番組のプロデューサー兼プレゼンターの Kim Elliott 氏が,元VOA日本語
課スタッフの坂上義雄 (サカウエ ・ ヨシオ) 氏にインタビューしたものを中心
に,坂上氏が提供した録音テープに残されている,戦時中の日本人スタッフ
の貴重な証言も紹介した。

NHK教育テレビの放送内容と符合するところが多く,興味深いものがある。
以下に,その番組内容を紹介する。(敬称略)

なお,Yahoo blog の字数制限の関係から,本稿は2つに分割して掲載して
いることをご承知おき願います。
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≪ 日本情緒が漂う,尺八のメロディをバックに,番組は始まる ≫
Elliott : きょうの特集番組では,1970年に幕を閉じたVOA日本語放送を回顧
    します。

    アメリカ政府は,第2次世界大戦が始まると国際放送に力を入れるように
    なります。VOA日本語放送は1942年にサンフランシスコで始まりますが,
    間もなくその拠点をデンバーに移します。日系アメリカ人の放送スタッフが
    所属する米海軍の語学学校が,コロラド州に移転するためです。

    マッカーサー元帥の要請により,VOA日本語放送は1946年に一時中止
    されますが,平和条約調印の1951年にニューヨークで放送を再開,その
    後ワシントンから放送されるようになるのです。

    VOA日本語放送の本来の目的は短波放送を送ることですが,1960年には
    VOAが制作する番組を日本の各放送局に供給するようになり,それは60年
    代後半まで続きます。

    しかし,1970年,VOA日本語放送は消え失せるのです。
    日本語による最後の放送は,このアナウンスで始まります。

≪ 録音テープ ≫
    You are listening to the Voice of America from Delano, California.
    日本の皆さま,ご機嫌いかがでしょうか。
    こちらは,ワシントンの 『VOA ・ アメリカの声』 日本語放送です。
    長い間お聞きいただいて参りましたVOA日本語放送は,本日をもって終了する
    ことになりました。(注1)

≪ 音 楽 ≫
Elliott : お聴きいただく録音は,1957年からVOA日本語課に在職された坂上義雄氏
    の提供によるものです。バージニア州 ・ アーリントンにある坂上氏のお宅で,
    当時の日本語放送について伺いました。

坂上 : 当時,われわれは1時間半から2時間の短波放送を行っていました。
    日本ではNHKが中波での全国網をもっていましたが,番組の一部にはVOAが
    制作した番組も含まれていました。

Elliott : 短波放送の番組を採録するには受信状態が悪かったでしょうね。

坂上 : そう思います。そこで,短波放送の内容を改めてアナウンサーに吹き替えさせ,
    それを中波放送で流していたようです。

Elliott : 1960年代は,短波放送だけの時代から,VOAが制作した番組を日本国内の
    放送局に供給する時代へと,だんだん広がりを見せるわけですが,何か想い出は
    ありますか。

坂上 : 人類初の月面着陸,ケネディ大統領の暗殺など,まさに激動の時代でした。
    ワシントンの編集室でテレビの中継を見ていると,ケネディ大統領が突然撃たれた
    のです。われわれは,直ちにアナウンス原稿を書き,アナウンサー達がそれを一枚
    づつ持ってスタジオに走り,放送したのを覚えています。

    また,VOA日本語課にはNHKや民放から3人一組でアナウンサーが派遣され,
    全部で25~30人くらいになったと思います。当時は,短波放送の受信状態が良く
    なかったので,VOAが制作した番組をNHKや民放に供給することになりました。

Elliott : それにもかかわらず,1970年に日本語放送が中止される引き金になった
    のは,何だったのでしょうか。

坂上 : それは東京駐在のアメリカ大使館付きの広報担当責任者が決断したのです。
    彼は,アメリカの財政問題と日本向けラジオ放送は効果が低いと言う判断から,
    VOA日本語放送の停止を決めたのです。

Elliott : あなたは,VOA日本語放送が中止になる前に,スタッフやリスナーに訴えること
    をしなかったのですか。

坂上 : 訴えました。そして日本の主要紙がVOA日本語放送の中止は残念なことだと
    報じたため,多くの人々がVOA日本語放送の続行を要請するようになりました。

Elliott : 日本の各局が開放的になり,また衛星放送によって澄んだ音声で受信できる
    ようになった現在こそ,VOAの番組が供給できれば良いのですが,皮肉なこと
    ですね。

坂上 : 同感です。アメリカから番組を供給してもらう方が,自局の特派員にレポート
    させるより,安上がりだと思います。

Elliott : あなたの生い立ちについて伺います。あなたはアメリカで生まれ,青年時代の
    一時期を日本で過されていますね。

坂上 : 中学生の時でした。母は,日本で祖父母と暮らしていた兄に会わせ,また私に
    日本の精神を身につけさせようとしたのだと思います。
    京都大学を卒業して,終戦時には学校の教師をしていました。

Elliott : 英語の先生ですか。

坂上 : いいえ,英語はタブーでした。数学を教えていたのですが,皮肉なことに数学の
    時間に英語を教える場面がありました。

Elliott : あぁ,A + B = C とかですね。

坂上 : そうです。アルファベットを教えることは愉快なことでした。

≪ 音 楽 ≫
Elliott :  第二次世界大戦中,日本では,軍の通信部隊以外に,VOA放送を聞いている
    人はいなかったと,坂上さんは言います。

    しかし,一つの例外は,坂上さんと同じようにアメリカから日本に行って勉強していた
    彼の友人です。その友人は,開戦の頃はアマチュア無線家として無線機器を使って
    いたのですが,それを当局から禁止されます。

    それにも拘わらず,彼は好奇心から次第に海外放送を聞くようになります。その結果,
    彼は拘束され,刑務所に送られることになるのです。

              ⇒ この続きは,『懐かしの資料(67) VOA日本語放送回顧(2)』
                 http://swlinformation.livedoor.blog/archives/1953459.html
                 をご覧ください。

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( 当ブログ子 : 注 )
注1 : 1970年2月28日に放送された最後のVOA日本語放送の開始アナウンスで,当時NHKから
     VOAに派遣されていた児玉士誠氏が担当。
注2 : 第二次世界大戦中のNHKの海外向け放送。

なお,VOAの放送内容は,月刊短波情報誌 『MY WAVE』 (現在は休刊) 1997年2月号に掲載された
拙稿に加筆訂正したものです。( 日本BCL連盟承認済 )

( 『懐かしの資料』 当ブログの過去記事 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/184854.html?m=l

中国国際放送は,8月26日放送の 『中日交流カフェ』 の中で,同番組のパーソナリティを
務める王洋さんと同じ日本語部の楊思嘉さんが結婚し,現在新婚旅行中だと紹介した。

お二人のプロフィールは,つぎのとおり。
王 洋さん : http://japanese.cri.cn/782/2009/05/01/1s139535.htm
楊思嘉さん : http://japanese.cri.cn/782/2009/05/04/1s139660.htm

本年5月には日本語部の馬健さんが,取材先で知り合った他社のジャーナリストと結婚して
おり,中国国際放送日本語部では,このところ,おめでた続きとなっている。
馬健さんのプロフィールは,つぎのとおり。
http://japanese.cri.cn/782/2009/05/04/1s139664.htm

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