ロゴマークである。5月26日に東京淀橋教会において開催された
記念集会の式次第 (プログラム) に使用されたものを,同局の
ご厚意により提供していただいた。
このロゴマークは,尾崎さんの娘さんであるジョイス (慶子) さんが,
今回の集いのために独自にデザインし制作したものである。
HCJB日本事務所の新川先生によれば,この日の記念集会には,
短波放送愛好者,HCJBファン,尾崎ファン,そして教会関係者など,
全体で83名の皆さんが出席した。中には,出張業務の合間に出席
した,四国からのリスナーもいた。
記念集会の前半はゲストスピーチと記念イベントが行われ,後半は
リスナー交歓のコーナーである。このコーナーは,例年行われている
『HCJB関東地区リスナーの集い』 を兼ねたものである。
このコーナーの冒頭,各地のリスナーから寄せられた 『HCJB日本語
放送50周年おめでとう』 のお祝いのメッセージが紹介された。
京都のリスナーは,『一度終了した,HCJB日本語放送復活のための
ご努力に,敬意と感謝を表します』 と述べ,仙台のリスナーは,『私は
高校生の頃からBCLを始め、約50年になります。HCJB日本語放送
とほぼ同じ歴史があることになります。我が青春の思い出はHCJBと
共にあり』 と書いた。そして,岩手のリスナーは,『オーストラリアからの
短波再開,本当に嬉しかったです。60周年記念の集会には仕事を
さぼっても行きます』 と結んだ。
インタビューのトップバッターは,ここ数年来,すっかり指定席と化した
東京のリスナー A さんである。A さんは,HCJB日本語放送などの
海外からの短波放送だけでなく,国内の中波放送も熱心に聴いている
リスナーである。
Aさんは,尾崎さんが米国シカゴに居を構えていた2006年の秋,
取材旅行でシカゴに立ち寄る予定となっている永六輔さんに,ある
提案を送った。永六輔さんは,TBSラジオの 『土曜ワイドラジオ
TOKYO』 や 『誰かとどこかで』 でパーソナリティを務めている。
同じ放送人である尾崎さんと話してほしいと提案したのだ。
永さんは,時間的制約もあり,直接面談はできなかったものの,
シカゴ空港か,どこかからの電話で 『ラジオ談義』 が実現した。
尾崎さんと永さんは,翌週,それぞれ,自らの番組の中で,その日
の出来事を紹介した。
続いて,B さんが 『最近,新しい地域に引っ越したが,HCJBの放送
が聞こえなくなった。対応策を教えてほしい』 と発言すると,C さんが
アンテナの張り方を紹介し,D さんが持参した小型ラジオを手にして,
受信機の選び方などを助言した。
残念ながら,リスナー交歓コーナーが佳境に入った頃,司会者から
閉会の時刻が迫っていることが告げられた。そして,配られた用紙に
次の3点を記入しほしいという,尾崎さんからのお願いが紹介された。
『HCJB日本語放送50周年』 のメッセージを書いてください。
今回は,例年のようにリスナー全員にインタビューすることが
出来なかった。改めて尾崎さんにお会いしたいと希望する
リスナーは,希望の場所と時間,連絡先などを書いてください。
尾崎さんは,HCJB日本語放送の足跡を記した 『本』 を著わす
予定です。この 『本』 を書くに当たって,どのような視点で,何を
書けば良いのか,皆さんのお知恵を拝借したいので,ご意見を
聴かせてください。
閉会後,CGNTVの取材チームが何人かのリスナーにインタビューを
行なった。そのニュース映像は次のサイトで視ることが出来る。
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?bit=high&vid=61418&dreamon=Y
※ 尾崎一夫さんの 『ふるさと訪問日程』 は次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/SW_Schedule/2013Japan_Schedule.pdf
※ HCJB日本語放送のホームページは次のとおり。
http://japanese.hcjb.org/
※ HCJB日本語放送 [アンデスの声] 50周年記念集会の記事一覧
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/879687.html?m=l