アメリカVOA放送 (Voice of America) の日本語番組が終わりを迎えたのは,
1970年のきょうであった。あれから44年が経ち,いま,日米関係は極めて
厳しい状況に至っていると言っても過言ではない。VOA日本語放送が現在も
続いていたならば,太平洋の向うからどのようなメッセージが放送されていた
であろうか。
あの日,私は東京に出来てほぼ1年,BCLの中断が始まる直前の状態だった
が,何故か中波と短波の2バンド・トランジスターラジオと小型のオープンリール
テープレコーダー (何れもSONY製) を持っており,木賃アパート2階の3畳の
部屋で朝6時半から,最後のVOA日本語放送を聴きながら録音していた。
1990年代前半に,20年余のBCL中断の時期が終わり,再び短波放送を
聴き始めると,ちょうどVOA放送は毎週末に "Communications World" という
メディア情報番組を放送していて,すっかりファンになってしまった。
同番組で 『リスナーの皆さんが住んでいる町で聴かれるテレビやラジオの局名
アナウンスを送ってほしい』 と案内されたのを聴いて,在京各局のジングルを
カセットテープに録音して送ったところ,同番組のプロデューサー兼プレゼンター
を務めるキム・エリオットさんが,カセットの音源を世界に向けて放送してくれた。
それが縁で,彼に紹介してもらって,VOA日本語放送の番組制作に携わって
いた坂上義雄さん (故人) をワシントンの自宅に訪ねて,当時の想い出話を
伺うことができた。これより先の1996年,坂上さんはエリオットさんが制作
した番組 『VOA日本語放送回顧』 に出演して,インタビューに答えていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20907965.html
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20908014.html
同じ1996年頃,日本BCL連盟が発行する情報誌 "My Wave" の紺野敦・
編集長 (当時) の取材で,VOA日本語放送の最後の番組で進行役を務め
たのは,NHKから派遣されていた児玉士誠さんであることが判明し,紺野
さんの紹介で,当時ラジオセンターのチーフ・アナウンサーを務めていた
児玉さんをNHKに訪ね,懐かしいお話を伺うことができた。
その模様は "My Wave" 1997年4月号に記事となって紹介された。
そして,2008年1月に,最後のVOA日本語放送で 『お別れのあいさつ』 を
した日本語課長フランク・馬場・正三さんが亡くなったことが報じられると,
その訃報記事を読んだのがキッカケで,フランク・馬場さんと姻戚関係にある
馬場建次さんと知り合いになり,馬場さんのホームページでVOA放送の音源
を紹介していただく機会を得た。
http://www.cskenvoice.com/21hist1.html
毎年2月28日を迎えると,VOA日本語放送のお陰げで知り合うことの出来た
多くの方々のことが,走馬灯のように想い出される。
(参考) VOA日本語放送のベリカード比較は次のサイトに書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/948404.html
( 過去 『My コラム』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/90339.html?m=l
1970年のきょうであった。あれから44年が経ち,いま,日米関係は極めて
厳しい状況に至っていると言っても過言ではない。VOA日本語放送が現在も
続いていたならば,太平洋の向うからどのようなメッセージが放送されていた
であろうか。
あの日,私は東京に出来てほぼ1年,BCLの中断が始まる直前の状態だった
が,何故か中波と短波の2バンド・トランジスターラジオと小型のオープンリール
テープレコーダー (何れもSONY製) を持っており,木賃アパート2階の3畳の
部屋で朝6時半から,最後のVOA日本語放送を聴きながら録音していた。
1990年代前半に,20年余のBCL中断の時期が終わり,再び短波放送を
聴き始めると,ちょうどVOA放送は毎週末に "Communications World" という
メディア情報番組を放送していて,すっかりファンになってしまった。
同番組で 『リスナーの皆さんが住んでいる町で聴かれるテレビやラジオの局名
アナウンスを送ってほしい』 と案内されたのを聴いて,在京各局のジングルを
カセットテープに録音して送ったところ,同番組のプロデューサー兼プレゼンター
を務めるキム・エリオットさんが,カセットの音源を世界に向けて放送してくれた。
それが縁で,彼に紹介してもらって,VOA日本語放送の番組制作に携わって
いた坂上義雄さん (故人) をワシントンの自宅に訪ねて,当時の想い出話を
伺うことができた。これより先の1996年,坂上さんはエリオットさんが制作
した番組 『VOA日本語放送回顧』 に出演して,インタビューに答えていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20907965.html
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/20908014.html
同じ1996年頃,日本BCL連盟が発行する情報誌 "My Wave" の紺野敦・
編集長 (当時) の取材で,VOA日本語放送の最後の番組で進行役を務め
たのは,NHKから派遣されていた児玉士誠さんであることが判明し,紺野
さんの紹介で,当時ラジオセンターのチーフ・アナウンサーを務めていた
児玉さんをNHKに訪ね,懐かしいお話を伺うことができた。
その模様は "My Wave" 1997年4月号に記事となって紹介された。
そして,2008年1月に,最後のVOA日本語放送で 『お別れのあいさつ』 を
した日本語課長フランク・馬場・正三さんが亡くなったことが報じられると,
その訃報記事を読んだのがキッカケで,フランク・馬場さんと姻戚関係にある
馬場建次さんと知り合いになり,馬場さんのホームページでVOA放送の音源
を紹介していただく機会を得た。
http://www.cskenvoice.com/21hist1.html
毎年2月28日を迎えると,VOA日本語放送のお陰げで知り合うことの出来た
多くの方々のことが,走馬灯のように想い出される。
(参考) VOA日本語放送のベリカード比較は次のサイトに書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/948404.html
( 過去 『My コラム』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/90339.html?m=l