(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

カテゴリ: アメリカ旅行記

イメージ 1

羽田行きデルタ航空637便のチェックインを済ませて,搭乗ゲートに向かうのだが,いつもの
ことながら,セキュリティチェックが本当に厳しい。靴を脱ぎ,腕時計,コイン,ベルト,携帯電話
をバッグに入れ,パスポートと搭乗券だけを持って,エックス線検査の円筒状のブースに進む。
両足を少し開いて所定の位置に置き,両手は頭の上で組み,立たされる。この状態で,全身を
スキャンされるのである。場合によっては,その後,更にボディチェクが待っていることもある。
この全身スキャンについては,プライバシーの侵害になり兼ねないという意見も多いと聞く。

そのセキュリティチェックが済むと,ようやく,搭乗口へと繋がるコンコースに出る。
ロサンゼルス空港では,われわれが搭乗するデルタ航空は,専用のターミナルビルを持っていて,
国際線も国内線も,このターミナルビルで発着するため,『ただ今から,〇番ゲートでは〇〇行の
搭乗を開始します』 とか 『ただいま,〇番ゲートには〇〇からの便が〇分遅れで到着です』 などと,
国内外の都市名が頻繁にアナウンスされると,旅気分が盛り上がる。

離陸して2時間ほどすると,機内食が提供された。
ディナーはチキンとポークの選択だが,ポークはカレー味ということで苦手ゆえ,チキンを頼んだ。
チキンは美味しかったが,食べ終わる頃になって,ソースか何かに,唐辛子のエキスが入っていた
らしく,口の中が火照ってしまい,参った。ビールとミネラルウォーターで冷やした。
食後のアイスクリームを食べて,やっと辛さが消えた。

いろいろなトラブルに遭遇した旅だったが,終わってみれば,皆んな面白い体験だった。
だから,旅はやめられない。
深夜の羽田空港に着陸し,機体がボーディングブリッジにつながった時には,ほっとした。

                                                   (了)
( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

日本に帰る日がやって来た。
ロサンゼルス空港までは,電車を乗り継いで行く。

ラスベガスからロサンゼルスに到着した日,空港からダウンタウンに向おうとすると,電車が
何らかのトラブルで不通となっていて,振替輸送というハプニングを経験したこともあり,もう
不通区間は解消しているだろうかと気になって,ロサンゼルス市交通局のホームページを
チェックしたが,何も掲載されていない。

ホテルをチェックアウトした後,帰路便の出発が夕刻であることから,時間を持て余すことに
なるので,あの不通区間だった駅まで,確認に出かけることにした。『7日間有効』 の交通
カードを持っているので,一日に何回電車に乗っても,運賃をその都度支払う心配はない。

電車は全線で正常運行されていることが確認できた。
乗換え駅でエレベーターの位置も確認した。スーツケースを持って乗換えするときには,駅の
構内の様子がわかっていないと,とてつもない遠回りをしてしまうことがある。

ホテルに戻り,ベルデスクで預かってもらっていたスーツケースを受け取った。
再び,電車に乗って,空港に向かった。

最初は混んでいたが,次第に席が空いてきたので,二人席に腰をおろした。
ところが,何かに濡れている席に座ったようだ。座る前にはシミなどは見えなかった。
ちょっと手で触って,臭いをかぐと,おしっこの臭いである。
人間のものか,動物のものかは,はっきりとはわからない。
我慢できないほどのものではないので,そのまま,空港への接続駅まで座り続けた。

空港接続駅から空港までは,連絡バスである。
もう,座るわけにはいかない。立ったまま,吊り輪を掴んだ。
気にすれば,少し臭う気もするが,周りの人は気づいていないようだ。
空港に着いて,早速,ズボンと下着とシャツを着替えた。

空港ロビーの隅の方にあるトイレに近く,人気の少ないところで,スーツケースを開けた。
帰国するために,きちんと詰めた荷物から,着替えを取り出した。タオルは洗面台のお湯で
絞ったものと乾いているものを数本づつ持って,個室に飛び込み,何度も身体を拭いた。
汚れた衣類とタオルは,もったいないが,ビニール袋に入れて,全てゴミ箱に捨てた。
応急処置だったが,もう,あの臭いはしなくなった。飛行機に乗っても大丈夫であろう。
早く機内に入り,ワインでも飲んで,『お清め』 をして,この悪夢を忘れたい。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

アメリカ大統領選挙のテレビ討論会が,いよいよ最終回を迎えた。
会場は,つい数日前まで滞在していた,ラスベガスの町にあるネバダ大学キャンパスである。
クリントンとトランプの遣り取りは,ほとんど理解できない。否,聴き取れないと言った方が正確
である。テレビ画面の下に流れるテロップを読むことによって,少しは理解できる。

チャンネルを次々と変えてみたところ,CNN,ABCなどの国内英語局の他,スペイン語の局も
中継している。
驚いたのは,中国のCCTVや,ロシアのRT (Russia Today) が独自に報道番組を編成して,
討論会場とスタジオを結んで,英語で放送していることである。NHK WORLD TV は,東京
送信の通常番組を流しているだけだ。

翌朝,コンビニで,Los Angeles Times を買って,また,驚いてしまった。
題字の "Los Angeles Times" は,紙面上部に小さく載っているだけで,大見出しは,
  ELECTION 2016
  THE FINAL PRESIDENTIAL DEBATE
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  BITTER TO THE END
  Trump won't say he'll accept vote result; Clinton calls that 'horrifying'
となっていて,その下に両候補の姿が,と言うよりは,クリントンの笑顔の写真がデカデカと載って
いる。

この日の新聞には,ある 『仕掛け』 があった。
アメリカの新聞の多くは,平日の朝刊は,日本の元日の新聞のように,5~6部門に分れたものが
折り込まれている。
この日の LA Times は,A,B,C,D,E の,5つのセクションに分かれていて,Bセクションが一番上
にセットされ,本来一番上となるAセクションが,二番目にセットされていたのだ。
Aセクションの上部には,大文字で Los Angeles Times の題字が載っている。

大統領選挙の討論会の模様をセンセーショナルに伝えるため,AセクションとBセクションを入れ替
えて,セットしたのだろうと思われた。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

巨大な T-ボーンステーキを平らげて,『もう,肉はいらない!』 と思いながら,ホテルに
帰ってきたが,地下鉄に乗ったり,歩いたりしているうちに,お腹のステーキも消化された
ようで,アルコールご法度のレストランだったこともあり,ビールを飲みたくなった。
ドギーバッグで持ち帰った,コールスローとハッシュドブラウンを肴にして,"BUD LIGHT" を
飲んだ。ホテル滞在中に飲むビールは,12本入りの箱で買って,冷蔵庫に入れておいた。

実は,今回の旅行中に,バドワイザーの 『America』 ブランドをぜひ飲みたいと思っていた。
大統領選挙に因んで,アメリカ国内だけで限定販売されると聞いていたからである。
http://www.cnn.co.jp/business/35082412.html

ところが,ホテルの近くのコンビニや小型のスーパーマーケットでは,これを見つけることが
出来なかった。旅行の最終日,お土産を買うため,バスに乗って,大型スーパーマーケット
に行ったところ,そこでは,この 『America』 が売られていた。
しかし,残念ながら,1本売りはしておらず,12本入りの箱でしか売っていない。
翌日は帰国する日。一晩で,12本を空けることは無理なので,涙を呑んで,諦めた。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

"THE ORIGINAL PANTRY" というステーキレストランを訪ねた。20数年ぶりであるが,
店の佇まいは全く変わっていない。1924年に開業すると,順調に人気を獲得して
いき,クリントン大統領を初め,米国の歴代大統領やハリウッドの有名俳優・女優
などが,この店でステーキを堪能したという。店内の壁には,彼らの記念写真が
飾られている。
http://www.pantrycafe.com/

テーブルにはメニューはなく,壁に貼ってメニューを見て,オーダーする。
アルコールは提供していない。食べるだけである。
私は T-ボーンステーキを,連れ合いは骨なしのニューヨークカットを頼んだ。

最初に出てきたのは,付け合わせのコールスロー。これだけで,お腹が一杯になり
そうである。少し甘めの,大好きな味なのだが,本命はステーキなので,少しだけ
食べて,我慢する。

続いて出てきたのは,ハッシュドブラウンの大盛りである。
これもまた,旨いのだが,少しだけにしておいて,ガマン,ガマンである。
ああ,ビールがほしい !!!

ほどなくして,軽く焼いたパンが出てきた。
ステーキが現れる前から,コールスロー,ハッシュドブラウン,トースト・・・,
このボリュームには,もう圧倒されそうである。
これらは,何れも 『一人分』 なのだから,驚きである。

遂に,T-ボーンステーキの登場である。
このレストランに来るときのために,日本から醤油とワサビを持ってきたのだが,
この日は旅の終わりに近く,疲れが出始めて,注意力が散漫になり,肝心の時に,
これを忘れてしまった。
醤油かなくても,アメリカ風の味付けでも,満足,満足,である。
もちろん,ステーキだけは完食した。

大食漢のアメリカ人でも,これだけの量だと,全部は食べ切れない人が多いと見えて,
カウンターの横に 『ドギー・バック』 が用意されている。紙パックに,残ったものを入れ,
それをドギー・バッグに収めて,ホテルに持ち帰った。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

石油王ジャン・ポール・ゲティが建設した美術館 『ゲティセンター』 を訪ねた。
バスに乗って,ロサンゼルスのダウンタウンからサンタモニカまで1時間弱,
バスを乗り換えて再び1時間弱,到着地点はゲティセンターがある小高い丘
の麓なので,そこから美術館が独自に敷設している2両編成のモノレールに
乗って,美術館の正門に到る。ホテルを出てから,ほぼ2時間がかかった。

所蔵の美術品を観る前に,見晴らし台から望むロサンゼルスのダウンタウン
やサンタモニカの海岸線は壮観である。この日は,残念ながら靄がかかって
いたが,晴れた日には素晴らしい眺めなのだろうと思われた。
http://www.getty.edu/visit/center/

ゲティセンターの入場料金は無料である。
日本語のリーフレットをもらって,順を追って,美術品を観賞する。建物は
5つに分かれている。悲しいかな,美術の知識に疎いので,ただ眺めている
だけだが,無心に絵を観ていると,何か心を打たれるものがある。
教科書などで習った,有名画家の作品に出会うと,『これが,あの画家の
作品だ』 と感動する。教科書の写真でしか見たことのない作品が,ここに,
その実物が展示されている,実物を観ているのだと思うと,本当に感動し,
異常な興奮に包まれる。

その感動を,すっかり興ざめにするのが,修学旅行で訪ねているのであろうか,
日本の制服姿の中学生の,大きな声と騒々しい団体行動である。
われわれは2時間もかけて,バスで見学に来ているのに,彼らはどうやって
ここに来たのだろうか,時間の制約はないのだろうかと不思議に思われたが,
貸切バスで来れば,たやすく到着できたのかも知れない。

そもそも,中学生が修学旅行でアメリカに来るのだろうかと素朴な疑問が
わいてきたが,ホテルに戻ってからネット検索すると,日本の中学生が
修学旅行でアメリカに来ることは珍しいことではないことがわかった。
60年前,山形県の中学校の修学旅行は,日光 → 江の島・鎌倉 → 東京
だったことを想えば,隔世の感がある。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

ホテルからリトル・トーキョーまでは3ブロックほどである。Los Angeles Times の
古い本社ビルの最上階側壁には 『THE TIMES』 の文字が彫られているが,その
剥げ落ちかけている文字が,歴史の重さを感じさせる。

通りを挟んで,THE TIMES の社屋の向い側に,超近代的なビルが現われていて,
『これは何のビルだ ? 美術館でも出来たのか !? 』 と,驚く。
総ガラス張りのビルに,ロサンゼルス市庁舎ビルが映って,芸術的でさえある。
ビルのサインを見て,更に驚いてしまった。
ロサンゼルス市警察の本部ビルである。

ロサンゼルス市警ビルと言えば,テレビ映画 『刑事コロンボ』 や1980年代に
起きた 『ロス疑惑 (三浦事件)』 の報道などで目にしていたビルで,マッチ箱を
横にしたような古い建物だったはずだ。

昔のロス市警本部ビルは5~6階建で,市庁舎ビルの向かい側にあったが,
今では,少し離れたところに新築されて,総ガラス張りの窓は鏡のようである。
その窓には,午後の陽光に照らされた市庁舎ビルが映っている。
この光景は壮観である。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

ロサンゼルスの一角に,『リトル・トーキョー』 と呼ばれる日本人街がある。
1800年代末に,日本から移住した人々が日本食のお店などを開業したのが
始まりと言われ,現在では,日本食レストランだけではなく,スーパーマーケット,
宗教施設から様々な公共施設まで整っていて,『日本』 を形成している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%BC

『リトル・トーキョー』 の全米日系人博物館を見学すると,今日の日本人街の
華やかさとは裏腹に,先人たちの苦難の歴史に想いが至る。
同博物館では2010年に,"Calling Tokyo" と題するドキュメンタリー映画が上映
されたこともある。この映画は,第2次世界大戦下の米国において,日本向け
短波放送に従事した日系人たちの姿を描いている。
http://www.janm.org/events/2010/07/#10
http://www.janm.org/jpn/main_jp.html

『リトル・トーキョー』 のシンボルは,二宮金次郎の像である。
今や,祖国 『美しい日本』 で,この像を見ることは少なくなったが,ロサンゼルスに
住む日本人,日系人にとっては,『心のふるさと』 なのであろう。

『リトル・トーキョー』 には,もう一つの像が建っている。
宇宙飛行士,エリソン・ショージ・オニヅカさんの像である。
ハワイ生まれのオニヅカさんは,日系人としては初めての宇宙飛行士として,
1986年1月28日,スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故に遭い,
39歳で殉職した。 その功績を称える記念の像も,また人々の心を打つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%85%E3%82%AB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%8F%B7%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

夕方,早めにホテルに戻ると,テレビでは,オバマ大統領にとって最後となる公式晩餐会の
模様が中継されていた。ワシントンの時間は,東部標準時午後7時,ロサンゼルスでの時間
は,パシフィック (太平洋) 標準時午後4時である。

イタリアのレンツィ首相夫妻をホワイトハウスに迎えての晩さん会で,ノース・ポーチの玄関前
で賓客を迎える大統領夫妻,特に,ミッチェル夫人の服装が目を惹きつける。
米伊首脳会談については,各メディアでも報じられていた。
http://jp.reuters.com/article/usa-italy-idJPKBN12I2FX

この会談は,オバマ大統領にとって最後の外国首脳との公式会談であっただけではなく,
その後の動きを見ていると,イタリアのレンツィ首相にとっても,最後の外国公式訪問と
なったのではないだろうか。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161208/k10010799191000.html

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

イメージ 1

ロサンゼルスで,毎日,地下鉄で乗り降りを繰り返していて,何気なく見過ごしていた
広告でも,あるとき,『えっ !?』 と気になった広告があった。駅のコンコースに掲出されて
いる 『AIDS WALK LOS ANGELES』 の広告である。
https://la.aidswalk.net/

『AIDS WALK LOS ANGELES』 については,次のサイトでも紹介されていて,興味深い。
同サイトでは,『AIDS Walk Los Angeles は APLA (AIDS Project Los Angeles) が主催
している。APLA は HIV 症状の人の生活の向上に努める専門的なサービス団体で
あり,HIV の減少と公正かつ効果的な HIV 関連の公共政策を提唱している』 と解説
している。
http://newyorkfilmacademy-japan.blogspot.jp/2013/10/nyfaaids-walk-los-angeles.html

1983年の夏,ワシントンDCにあるFBIの本部ビルを見学した際,『エイズ血液の
付着したズボン』 が展示されているのを見て,驚いたものだった。ガラスの展示
ケースに収められていて,回りにはロープが張られて,『絶対に近寄ったり,触ったり
しないこと』 という注意書きが貼ってあった。

当時は,『エイズは怖いもの』 という程度の知識しかなかったので,その後の,日本を
含む世界各国の動きを振返り,今日の 『AIDS Walk Los Angeles』 の活動を知ると,
医学と研究の発展,人々の意識の高まりには,深く考えさせられるものがある。

( 『アメリカ旅行記』 一覧 )
http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1130868.html?m=l

↑このページのトップヘ