(旧)国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

カテゴリ: 北欧旅行記

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ノルウェーなどの北欧諸国は,『高負担,高福祉』 の国と言われていて,わが国
の現状から見れは,少なくとも 『高福祉』 は,国の理想的なあり方に見える。

もちろん,専門的,学問的な観点から,北欧諸国における 『高負担・高福祉』 に
ついて,肯定的にとらえる見方と,批判的に論ずる見方が,混在しているように
思われる。

オスロに到着した日,中央駅の改札口を出ると,道端にビニールシートを敷き,
前に紙のコーヒーカップを置いて座り,物乞いをしている男性の姿があった。
そして,彼と熱心に話し込んでいる人がいることに驚いた。

翌日,大聖堂で行なわれる日曜礼拝に一緒しようとしたとき,聖堂の正面入口前
には,雨降りにもかかわらず,3~4人の女性が座り込み,物乞いをしている姿が
あった。人々は,彼女たちを無視するかのように,次々と教会の中に入っていった。

なぜ,教会は,この人たちに救いの手を差し伸べてくれないのか,不思議に思い,
そして,驚いた。『高福祉』 の国に,物乞いをする人がいることは,信じられないこと
であった。

現下の世界情勢を考えたとき,この国で物乞いをしている人たちは,祖国での差別
や迫害から逃れて,ノルウェーに渡って来た難民かも知れない,ノルウェーにやって
来たものの,言葉などの問題から社会に馴染むことが出来ず,貧困に追い込まれて
しまったのかも知れないなどと,勝手に想像したのであった。

そして,7月下旬になって,現地在住のジャーナリストが 『物乞い犯罪組織 現地で
賛否両論』 と題してリポートしているのを読み,再び,驚いた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20170728-00073815/

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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オスロ滞在中は,毎晩,NHKの国際ラジオ放送 『ラジオジャパン』 の日本語
番組を聴いていたが,他の日本語による短波放送は,『ラジオ日経』 を含めて,
まったく聞こえなかった。

他言語の放送では,中国国際放送が沢山の周波数を使って,英語を初め
仏語,独語などの番組を常時放送しているのが印象に残っている。

夜,短波放送を聴いても,日中の観光地巡りの疲れがあって,受信報告を
作成する気分にならない。しかし,そんな中にあって,韓国KBSの独語番組が
良好に聴こえたので,言葉は理解できなかったが,直ぐに電子メールで簡単な
受信リポートを送った。

受信報告したのは,5月14日 20:00UTC 3955kHz (英 Woofferton
中継) の放送で,約2ヵ月後,自宅宛にKBS独語班からベリカード (2017年
第2四半期の 『済州の海女文化』) とともに,リーフレット,ステッカーなどが
送られてきた。(上記画像)

なお,旅行中に聴いたラジオジャパンのベリカードは次のとおり。
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/35779677.html
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/35781143.html

また,KTWR日本語放送・フレンドシップラジオの 『受信不能』 を証明する
ベリカードは次のとおり。
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/35781926.html

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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オスロ湾のウォーターフロント再開発地域に,超近代的なオペラハウスがある。

建物本体と外回りは幾何学的なデザインで設計されていて,地上から屋上まで
なだらかな斜面が続いている。ここを訪れた人々は,この外回りのスロープを
歩いて屋上に達し,そこからオスロ市内を俯瞰することが出来る。

冬場の積雪がある時期には,このスロープで子供たちが雪ソリ遊びをする姿を
見ることが出来るらしい。ちょっと危ない気もするのだが・・・。

建物の内部は,階段や内壁に木材が使われていて,北欧の国ノルウェーの
温かさを感じさせてくれる。

残念ながら,オペラや音楽を鑑賞する時間的余裕がなく,施設を観て回るだけ
となった。

オペラハウスのホームページは次のとおり。
http://operaen.no/en/

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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アーケシュフース城は,オスロ湾を見下ろす丘の,崖っぷちに建っている。
1299年にマグヌソン王によって建てられたが,1527年に大部分が焼失。
長い間見捨てられていた城は,1600年代に改築された。

1300年代から1700年代にかけて,敵軍に何回も包囲されたが,一度も
明け渡すことなく,要塞としての役割を果たしたと言う。

城の内部は暗く,石造りの通路が,城内の大広間,牢獄,王の墓などへと
続く。城の窓からは,眼下にオスロ湾を眺めることが出来る。

アーケシュフース城について,ウィキペディアでは次のように解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%9F%8E

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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ノルウェーにも, ホロコースト研究センターがあると聞いて,見学することにした。
オスロ中央駅から30分ほどバスに乗ったところ,オスロ市郊外の住宅地の中に建っている。

第2次世界大戦中のホロコースト,当時ノルウェーに住んでいたユダヤ人に対するナチスの
破壊活動の実相に迫る,様々な資料が展示されている。ナチス政治によって迫害された少数
宗教者の犠牲者についても紹介している。

センターのリーフレットには,ホロコーストを,過去の問題としてだけでなく,今日的な問題と
して,幅広く議論されることを願う,と書かれている。

また,館内では,『ポルトガルにおけるユダヤ人の歩みと遺産』 と題する特別展示が行なわ
れていて,古代から現在までのポルトガルにおけるセファルディムの存在を追跡することに
よって,ポルトガルにおけるユダヤ文化の遺産と歴史を紹介している。

セファルディムについては,ウィキペディアのサイトで次のように解説されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A0

ホロコースト研究センターのホームページは次のとおり。
http://www.hlsenteret.no/english/

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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ノルディックスキーの発祥地である,ホルメンコーレン・ジャンプ台を訪ねた。
オスロ中央駅から地下鉄で30分ほど乗ると,ホルメンコーレン駅に着く。
更に20分ほど,坂道を登って行くと,ジャンプ台にたどり着く。正確に言うと,
ランディングバーンの60m地点付近にある観客席の入場口に到着する。
ランディングバーンの下に (と言うか,裏側に),スキー博物館がある。

われわれが訪ねた日は,残念ながら小雨模様で,視界ゼロであった。
ジャンプタワーの上の方を見ても,スタート地点はもちろんのこと,助走路も
見えない。ランディングバーンの下方を眺めても,傾斜具合はもちろん,K点
のラインも見えない。オマケにと言うか,スキー博物館も休館であった。

全く残念なジャンプ台見学であったが,一つだけ,うれしいことがあった。
観客席の入り口付近に,ここで開催されたジャンプ大会の記録保持者一覧の
パネルが展示されていて,その中に,日本人選手の名前を発見した。
1962年の江遠要甫さん,2013年と2016年の高梨沙羅さんである。

晴れていれば,ホルメンコーレン・ジャンプ台は,こんな風に見えたであろうと
思い,オスロ市内に戻ってから,売店で絵葉書を買って,持ち帰った。

ホルメンコーレン・ジャンプ台について,ウィキペディアは次のように解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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ヴァイキング船博物館には,フィヨルド沿岸沿いで発掘されたバイキング船
3隻が展示されている。
館内で最初に目にするのは,西暦800年代から50年間使用された,女王
の船である。これは,女王の死後,遺体とともに埋葬されたが,1904年に
発掘された。

展示されている船が,1000年以上経っても,原型を保ったまま,無事に
発掘されたのは,ヴァイキングの首長たちが船とともに土の中に葬られた
ため,木材は腐らずにすんだからだという。

因みに,ヴァイキング船は,ノルウェーから海外に送る航空便用の切手の
絵柄に採用されている。20g以下は21クローネ (約320円 : 旅行当時)
である。

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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ノルウェーの文化人類学者 トール・ヘイエルダールは,1947年にバルサ葦の船
『コンチキ号』 でペルーからイースター島まで太平洋を渡り,世界的な名声を得た。
ガイドブックでは,『コンチキ』 はポリネシア語で 『太陽の子』 を意味すると解説され
ている。

彼は,その後も様々な航海を続け,1970年にはパピルスの船 『ラー鏡す罅 で
モロッコから大西洋を横断して南米を目指した。
この船には,日本人カメラマン Kei Ohara さんを含め,8ヵ国から集まった人々が
乗り組んだという。

上記画像は,左上 : コンチキ号,左下 : コンチキ号の解説,右上 : ラー鏡す罅
右下 : ラー鏡す罎硫鮴 である。

コンチキ号博物館のホームページなどは次のとおり。
http://www.kon-tiki.no/
https://www.facebook.com/KonTikiMuseum

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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フラム号博物館には,小さなカフェがある。
客が座る各セクションは,北欧の国のログハウス風で,テーブルとベンチ,
そして内壁はすべて木材で出来ている。

照明を落としているのは,窓の向うに,北極の空で優雅に舞うオーロラや,
南極の雪原でテントを吹っ飛ばしてしまうような暴風雪の記録映像を映し
出すためである。

客は,北極のオーロラに感動し,南極のブリザードに恐怖を覚えるという,
疑似体験をしながら,コーヒーと軽食を味わうことが出来る。
アムンゼンと一緒に,極地に迫っているような錯覚さえ覚える。

フラム号博物館のホームページは次のとおり。
http://frammuseum.no/

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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フラム号は,ノルウェーの探検家,アムンゼンが1911年12月に南極点に達した
時に乗っていった船である。

フラム号を直訳すると,『前進号』 となるらしい。
フラム号の歴史は,ガイドブックによれば,凡そ次のようなものである。
当初は,北極海流の研究のために造られたもので,全長39m,満載時で800トン
であった。北極の氷原に3年間も閉じ込められたこともあったが,船は氷に押しつぶ
されることなく,氷の上に浮き上がり,無事にオスロに帰還できた。
その後,アムンゼンに譲り渡されたのだという。

博物館では,フラム号の外観を眺めるだけでなく,船内にも入って,機関室や通信室,
ベッドルームや娯楽室などを見学することが出来る。

フラム号博物館のホームページは次のとおり。
http://frammuseum.no/

( 『北欧旅行記』 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1135795.html?m=l

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